今回のゲスト講師はEXILE/三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEのメンバーである小林直己氏。
オーラは細部に渡る。
深くまろみを帯びた心地良い声、インテリジェンスを感じる語り口、洗練された立ち居振る舞い。
日本を代表するエンターティナーはただそこにいるだけで、〝輝き〟というエレメントを揮発させる。
「本気なのか、そうではないのか、というのは指先に答えが出ます」
事実、彼は講義の中でこのような言葉を残した。
5万人の観衆の前で手加減は出来ない。
自分の持っている全ての力を出し切らなければ、立ち向かえない───何より、2度と会うことができないかもしれない人に対して誠実で在らざるを得ない。
その連続が、精神と肉体の研鑽へと繋がり、〝小林直己〟というアーティストを洗練させていく。
「私が見ている花は、あなたと同じ色ですか?」
「全てのことって、結局捉え方次第なのではないか、と。
あの日、オーディションに落ちて〝失敗した〟と思っていたけど、でもそこでオーディションに通らない人の気持ちを知って。
いつかどこかで自分が逆の立場になった時、その人に対して優しい言葉をかけることができるかもしれない。
通らなかったことで出会えた人、その出会いによって今、幸せになっているかもしれない。
叶う夢もあるけど、叶わない夢もある中で、でもやっぱり幸せに生きていきたい。
そういうことをエンタテインメントとして伝えたい」
クリエーションとイノベーションを繰り返しながら螺旋状に進化していく中で、彼の夢もまた進化していく。
その夢が、エンタテインメントを通して世の中を巻き込み、多くの人を幸せにする。
〝小林直己〟の歩む道が提示するもの。
鋼のような意志と圧倒的な行動力で人生を切り開く。
彼の生き方の示すデザインが、見る者の心に刻まれ、生き続ける。
それでは講義の模様をお楽しみください。
直己
この講義を迎えるに当たって「自分ならば何を伝えることができるだろう?」と考えました。
自分とデザインの関係性を掘り下げていくと、この2つの点に絞られていきました。
・クリエーションにおけるデザイン
・キャリアにおけるデザイン
まず1つ目の〝クリエーションにおけるデザイン〟はまさにLDHが行っています。
僕は今、LDH JAPANという会社に所属しているのですが、そこでアーティストとしての活動をしていると同時にマネジメントの仕事にも携わっています。
具体的に言うと、LDH JAPANの支社(LDH USA)がLAにあるのですが、そこでクリエイティブキャリアアドバイザーという立場でマネジメントに関わっています。表に出ている人間としてプロジェクトを支える───アーティストとしてものづくりをしてきた経験をLDHの別のプロジェクト、又は外部プロジェクトでコンサル的な意見を出す役割です。
《LDH》
EXILEや三代目J SOUL BROTHERS、E-girlsなど、数々の所属アーティストのマネジメントを中心としたビジネスに加え、数多くの事業(360°マネジメント)を展開。
LDHという名は〝Love、Dream、Happiness〟の略で、会社名であると同時に僕たちのメッセージでもあります。
人間にとって〝愛〟と〝夢〟と〝幸せ〟というのは欠かせないものです。
楽曲を通して、パフォーマンスを通して、ライブを通して伝えていきたいという想いが込められています。
今では大きな成功を収め、幅広いビジネスを展開しているが、立ち上げ当初はほんの小さな会社だった。
EXILEの初期メンバーの6名のみ。
手作りではじめたLDH。
人気と実績を獲得していくにつれて、少しずつ活動の領域を拡げていった。
LDHには、マネジメントだけでなく、アパレルやレストラン、トレーニングジムなどのグループ会社が存在する。
それらは、アーティストの活動から派生する形で生まれ、今は活動をサポートしつつ、それぞれが独立して運営されている。
直己
根本にあるのは全て「アーティストのより良いパフォーマンスを引き出すため」そして「メッセージを届けるため」。
そのための試行錯誤から生まれたものばかりです。
また、LDHではダンススクールも運営していて、スクールでレッスンを受けていた生徒がアーティストに成長していくというシステムがあります。
当時、実際に僕も、ダンススクールでレッスンを受けたり、生徒に教える立場だったり、スタッフとして働いていました。
そこからアーティストになりました。
クリエイターとして、またアーティストとしても夢へ挑戦できる場所を作っていきたい。
それがLDH(Love、Dream、Happiness)の中のメッセージに入っています。
LDHは日本を拠点とし、支社はアメリカ、ヨーロッパ、アジアとグローバルに展開しています。
その上でエンタテインメントを通して日本のカルチャーや美意識を伝えていくという志があります。
アーティストのストーリーを作り、そのストーリーに合うデザインをプロフェッショナルとコラボレーションしながら作り上げていく。
デザインの関わり方として、一つ目(クリエーションにおけるデザイン)がこのような形です。
離見の見。
アーティストとして表舞台に立ちながら、LDH USAにおけるクリエイティブキャリアアドバイザーとしてマネジメントの仕事も同時に行っている直己氏。
彼の中にはアーティストとディレクターが同居している───つまり「表現者でありながら、演出家である」という側面。
彼の言葉を整理していて私は能楽師である世阿弥の言葉を思い出した。
世阿弥は能楽論書『花鏡』の中で「離見の見(りけんのけん)」という表現を使い、客観的視点の重要性を説いた。
離見とは、演者が舞台上の自分自身という視点(主観)から離れ、観客の立場で自分の姿を見ること。
外からの視点(客観)を持つことにより、自分の感覚知を超えたパフォーマンスを磨くことに繋がる。
興味深いことに、その特性は J SOUL BROTHERSで培った視点であったことが彼の言葉から読み取ることができる。
直己
元々ダンサーってプロデューサー気質があって。
踊りたい楽曲を選んで(ないし作って)、振付も考える。
踊る場所を選んだり、イベントに出演するだけでなく、自分で作ったりもする。
イベントの運営も自分で行う。
ですので、プレイングマネージャー的に、自分でマネジメントをしながら自分がプレイヤーでもある。
ステージに立って、曲が流れた時にお客さんが喜んでくれる。
じゃあ、今度はその曲の世界観がもっと伝わるように、衣装を変えよう、曲順を変えよう、ライブステージを変えよう…
そのように、様々なマネジメントが増えていき、プロデューサー視点が養われていったのではないか、と。
代表のEXILE HIROを見ていてそう感じます。
千原
制作する裏側においてもパフォーマーの人たちも話し合いをしながら関わっているということですね?
直己
三代目自体が、HIROもメインプロデューサーとして入っているので、メンバーがHIROに意見を集めたり、メンバーが最近感じている感覚を取り入れたりします。
同じダンサーなので、メンバーの気持ちが誰よりも分かる。
千原
HIROさんってダンサーのイメージを変えましたよね。
〝ダンス〟という一つのジャンルの守備範囲を拡張した感じがある。
以前までは「ダンスはメインのバックで踊るもの」というイメージで、踊る場所が限定されていたような気がするけど、HIROさんによってその領域が大きく拡がった。
ステージのメインになることもあれば、歌い手がダンスを身につけることも当たり前のようになっていった。
直己
実際にダンサーがグループのメンバーという形態はEXILEが最初かもしれません。
今も海外プロジェクトがある中で、僕たちのグループのことを説明してもうまく伝わらないんですね。
「理解ができない」というか、そもそも海外にはそういった発想がない。
ダンサーがメンバーであることで、今までになかったアイディアが生まれたり、曲をヒットさせようと練る時に〝身体的なアプローチ〟という幅が広がる。
もちろんボーカルの歌があってこそ、それらは機能するのですが、世界観を伝えるためのヴィジュアルとして伝えやすいのはダンサーだったりするのではないかと思っています。
「ダンサーにはプロデューサーの素質がある」という直己氏の言葉に深く納得する。
しかし、それと同時に「全てのダンサーに当てはまるわけではない」という考えが浮上する。
そしてこの仮説に辿り着く。
「これは、EXILE(J SOUL BROTHERS)に特化しているポイントではないだろうか?」
その中でもとりわけ、直己氏にはその力を強く感じる。
彼の醸す独特の雰囲気(知性、感性、ユーモア)は、そこに答えがあるような気がしてならない。
そして話は2つ目のデザイン(キャリアにおけるデザイン)へ移る。
アーティストとしてのはじまり。
直己
EXILEって最初6人だったのですが今では19名なんですね
一番分かり易い変化というのは、TAKAHIROが参加した頃。
彼は美容師をしていたのですが元々EXILEが好きで、オーディションを受けた時に選ばれて、ある日、EXILEになっちゃったんですよ。
千原
当時、大々的にオーディションをやっていましたよね。
直己
僕の場合は少し状況が違いました。
ダンサーとしてクラブで活動していた時にEXILE AKIRAと出会い、彼と同じダンスチームで踊るようになった。
そこからLDHを知りました。
たまたま別のプロジェクトで、劇団EXILEという舞台公演が立ち上がった。
スタッフとしても、ダンスの振り付けも頑張っているから、と「振付師として入ってみる?」という言葉をいただきました。
千原
J SOUL BROTHERSとしてよりも振付師が先なんですね。
直己
はい。
そこで、一言だけ台詞をもらったんですよ。
千原
何ていう台詞だったんですか?
直己
「手羽先じゃねぇんだよ」
千原
…
会場www
直己
意味が分かりませんよねw
「どういう状況?」っていう。
千原
確かに、あんまり言う時がないよね。
直己
ギャング集団の一味の役で。
ヒロインの首に腕を回して「へっへっへ、こっちにこいよ」っていう。
それを「やめて!」って言いながらヒロインが僕の腕を噛むんです。
そこで「いてっ!手羽先じゃねぇんだよ!」って。
会場www
直己
ずっとこれまでダンサーとして「どうやって感情を表現していけばいいのだろう?」と思って、言葉のない表現の中で身体性を高めることを追求していた時に、俳優は言葉が使えたんです。
「おもしろい!」と思って、それから芝居というものに惹かれていきました。
実はアーティスト活動よりも芝居の方が先だったんです。
千原
なるほど。
手羽先のおかげだね。
直己
本当、何がどうなるかというのは分からないですよね。
舞台を見ていたスタッフが「グループのメンバーを増やそうと思っている。パフォーマンスを向上させて、もっとおもしろいことができるようなチームにしたい」って。
2007年、NAOKIとして二代目J SOUL BROTHERSに加入。
2年後、EXILEのメンバーとしてアーティストの道がはじまった。
そして2010年───三代目 J SOUL BROTHERSのリーダー兼パフォーマーとして活動が始動する。
千原
じゃあJ SOUL BROTHERSに入る前───手伝っている期間というのはLDH以外のこともやっていたの?
直己
やっていました。
派遣会社に登録をして日雇いのバイトをしたり。
東中野の駅前のスーパーで牛乳売っていたり。
吉野家に行くのがご褒美でした。
全てが順調というわけではない。
壁にぶつかり、それでも諦めずに、目の前にことに集中した。
一つクリアする度にステージが上がり、また新たな壁にぶつかり…。
その連続でここまできた。
その情熱はどこから生まれてくるのだろうか。
直己氏はこう語った。
「忘れられたくなくて」
「自分が元々エンターテイメントの世界に興味を持ったのは、とあるパフォーマンスを見た時で。
それが映画なのかステージなのかは覚えていないのですが、受けた衝撃だけはずっと覚えているんです。
その衝動は〝感動〟という種類のものではなく〝恐怖〟でした。
怖かった。
〝こうなりたくない〟と思った。
それを見た時に僕の心は深く傷ついた。
それは一生消えることのない傷です。
おかしな話かもしれませんが、僕もそんな存在になりたいんです。
つまり、誰かの心にずっと残り続け、忘れられない存在に」
アーティストとしての〝小林直己〟の核はここにある。
そして、それはダンサーだけに留まらず、別の領域へと表現の枠を広げている。
直己
今、自分がダンサー以外で主軸を置いている活動があります。
ソロとしては俳優。
Netflixオリジナル映画『アースクエイク・バード』への出演が決定。
製作総指揮は『ブレードランナー』や『エイリアン』シリーズで有名なリドリー・スコット。
直己氏は作品の中で3人の主要メンバーの1人。
『リリーのすべて』で第88回アカデミー賞助演女優賞を受賞したアリシア・ヴィキャンデル、そしてライリー・キーオとラブトライアングルの関係性を展開させる。
華やかなハリウッドデビュー。
千原
すごいね、そんなことになってるの?
手羽先から?
直己
そうなんですよ。
まさか自分の人生で、海外の映画に出るなんて思ってもいませんでした。
俳優業の他にはモデル業───。
Yohji Yamamoto、Y-3、それぞれにパリコレクションでのモデルとして出演。
元々Yohji Yamamotoが好きで、「どうしてもヨウジでモデルをやってみたい」と。
パリに行き、キャスティングオーディションを受けて、計4回ほど出させていただきました。
自分がやりたいことにアプローチをかけて、実際に体験し、キャリアを獲得していく。
ダンサーという枠を超えて、〝表現者〟として直己氏は色鮮やかに輝きを増していく。
自分はこのようにキャリアをデザインしてきました。
「してきた」と、自分の意志によるものだという風に言いましたが、「デザインされた」という表現の方が近いかもしれません。
夢を持つ人たちとの出会いを掛け合わせて、自分だけではなく周りの人を幸せにしながら自分がプロフェッショナルとして、若しくはプロフェッショナルの力を借りながら、自分の夢を叶えていく。
千原
それは直己さんの中心にダンスが───得意なものが1つあることで、他のことも楽しめるんじゃないかな?
僕もグラフィックデザインを中心にやっているのですが、そこにベースがあるから他にやりたいことも出てくるし、「これからはデザインじゃないこともやってみたいな」と思える。
直己
まさに最近、そのことを感じていたところです。
ベースがあるからできることの幅も広がる。
自分は背も高いし、そんなにカジュアルなフェイスでもないし…あ、ここ、笑っていいでんですよw
偏ったイメージを抱かれやすい。
でも、そういう自分だからこそ個性が輝くし、自分にしかできない領域が見えてくる。
ライフデザイン
イノベーティブクリエーション
(革新的なクリエーション)
×
クリエイティブイノベーション
(クリエーションによる革新)
直己
僕はずっとこれを行ったり来たり繰り返していたのだと気付きました。
イノベーティブクリエーション(革新的なクリエーション)で自分をどんどん変えてもらって、自分が変わっていくと、「これもおもしろい、あれもおもしろい」と様々な発想が生まれ、世の中を変える新たなクリエーションを生み出す。
これが自然とループした状態。
それが人生をデザインすること───ライフデザインとして機能するのではないか、と。
千原
この『れもんらいふデザイン塾』も、僕がグラフィックデザイナーであるがゆえに、「専門的なグラフィックデザインの話なのかな?」と思っている人が実は多くて。
デザインに関わらず得意なもので人生を切り開いていく───〝生き方としてのデザイン〟を聴く場所なんですね。
直己さんの〝ライフデザイン〟という言葉はとてもいいなって。
直己
今まで自分はエンタテインメントによって自分自身を変えてもらってきました。
そのエンタテインメントと今このような立場で関わることができています。
人生に〝生きる意味〟というのはないのかもしれません。
ただ、僕は、そこに意味を見出すとしたら「世の中を変えたい」と思いました。
───それは生きてきて初めて、自覚的に。
20歳を超えてからこの業界に入りました。
夜中の10時に新宿の銀行前に行き、ガラス窓に向き合って朝の6時くらいまでダンスの練習をして、そのまま引っ越しのバイトに行き…。
「たった100円であと一週間、どうやって乗り切ろう?」という場面もありました。
人との出会いで助けられてここまで来ることができました。
先輩たちに引っ張ってもらったり、周りの人たちに支えてもらったりしながら、この仕事をさせていただいています。
だからこそ自分ができることは誠意をもってやりたいですし、皆さんが今日このように見てくれていることで、改めて僕は覚悟を抱くことができました。
「袖すり合うのも多少の縁」という言葉がありますが、そこに人生を変える可能性が秘められていると思っております。
一人一人が表現者であり、お互いが影響し合いながら生きている。
今日ここで出会えたことを心から感謝しています。
〝クリエーションにおけるデザイン〟と〝キャリアにおけるデザイン〟───2つのデザインを通して、直己氏は生き方のデザイン(ライフデザイン)を語った。
メンタル・テクニカル・フィジカル───心技体のバランスを客観的にコントロールする。
性能を知り、絶えず調整し、〝小林直己〟というマシンを乗りこなす。
時に潜在的な能力に働きかけ、アップデートする。
自分自身を全く別の次元から俯瞰で見下ろしているように、未知なる自分の姿を追い求める。
ここからは塾長の千原徹也氏との対話、そして質疑応答の中で、さらなる興味深い発見が現れる。
R.Y.U.S.E.I.のヒット
直己
「ヒットソングとダンスには密接な関係がある」という時代の流れの中で、『R.Y.U.S.E.I.』は一早くそのムーブメントに乗ったのではないでしょうか?
元々『Choo Choo TRAIN』やピンクレディさんの楽曲などの往年の作品はありました。
しかし、当時の流行り方と今では質(向かっているベクトル)が違う。
今でこそDA PUMPさんや星野源さんなど、ヒットソングとダンスが密接に結びついています。
それは、SNSの普及や、誰もがYouTubeを気軽に見ることができるようになったという環境の変化にその理由があります。
家でCDを聴くよりもYouTubeで音楽を楽しむことが増えたり、〝自撮り〟という文化が現れた。
つまり、今までプロフェッショナルのダンスを見るだけだったのが、自分たちで踊って、それを撮影するようになった。
色々な偶然が重なってヒットソングとダンスが結びついたと思っています。
僕たちは元々海外のアーティストとか大好きなので、InstagramやSnapchatをいち早くやっていたメンバーが「ヴィジュアル的なイメージの曲(ダンス)を作ろう」ということになり。
その時期、EDMが流行りだし「音サビが最も盛り上がる」というのが海外のトレンドになってきた。
『R.Y.U.S.E.I.』には歌のサビの後に、音のサビがあります。
それまでの一般的な曲は、あの部分───つまり、1番と2番の間を〝間奏〟と呼んでいました。
〝音サビで盛り上がる〟という海外のトレンドをJポップに取り入れ、みんなが間奏だと思っているポイントに「ちょっと待って、これから盛り上がるから!」と、意図的にあの振付を作りました。
千原
確かに、あそこ歌ないですもんね。
ずっとピュンピュン言ってるとこですよね?
会場www
直己
そうです。
ズンチ、とピュンです。
千原
フィルターの一つとして、EXILEのダンスって「難しい」というイメージがあるじゃないですか。
ピンクレディだと見た瞬間にマネできる振付で。
「やってみようかな」って。
レベルの高いダンスというイメージから、ランニングマンは〝誰でもマネできそうなダンス〟というEXILEに今までになかった要素だったのでとても新鮮でした。
直己
実は、ランニングマン自体は80年代からあって、元々ボビー・ブラウンが踊っていたものなんです。
あのダンスで何を覚えてもらいたかったのかというと〝手〟なんですね(人差し指を伸ばす)。
「ランニングマンってこれだよね」って言う時に、みんな絶対に手をつけますよね。
今、DA PUMPさんの『U.S.A.』も〝手〟じゃないですか(親指を伸ばす)。
ピンクレディさんにしてもそうですが、上半身の画角に入るものが日本人には特にヒットしやすいんですね。
千原
本当だ。
UFOもそうですよね(頭の上に手のひらを)
直己
ポッキーダンスもそうです。
実は、あの振付は僕がやっているのですが。
色んなアーティストを研究して、自分なりの判断として〝手〟がテーマであるということに気付いたんですね。
ランニングマンの〝手〟を生み出したのはELLYというメンバーで。
メンバーが曲の提案や、実際に振付を作ったりする。
メンバーがクリエイターという側面を持ちながらアーティスト活動をしています。
フィジカル・テクニカル・メンタル
《質問》
ダンサーとしての身体の能力を高めるために、どのようなことをすればよいですか?
直己
今、想像していることを全部してください。
具体的に「ダンサーとして食べていく」ということを考えた時、僕自身どうすればプロになれるか分からなかったんですね。
今までの人生を振り返った時に、〝学校の授業〟を参考にしようと思いました。
つまり、1限目から6限目まで、みっちりとダンスレッスンをすればプロになれるのではないか、と。
そのようなカリキュラムを作成して。
朝10時からバレエレッスンを受けて、次はジャズダンス、次はロックダンス、次はヒップホップダンス…というのを夜10時まで。
そのカリキュラムを週5回続けた時期が1年半ほどありました。
練習を1日休むと感覚を取り戻すのに3日かかる。
でも、モチベーションが続かない。
だから僕は〝怒り〟をエネルギーにモチベーションをコントロールしました。
例えば「(ライバルに)負けたくない」とか「自分がダサい」とか。
今は技術的には自分が思い描く動きができるようになってきたので、あとは身体と心と技───この3つのバランスを整えることを習慣にしています。
自分に足りない部分って分かるじゃないですか。
それをいかにやるか、というモチベーション作りが一番大変ですね。
基本的には僕はレイジー(怠け者)ですからw
朝は起きれない、決めたルーティンは守れない。
でも、そんな自分に負けていたら、憧れのあの人(もしくはライバル)には絶対に勝てない。
それが悔しい。
それをエネルギーにしています。
今のライバルはレオナルド・ディカプリオ。
今、皆さん、冗談だと思ったでしょ。
いいですよ、言葉にしたらもうやるしかないですからね。
会場www
最近では、それができなかったら「今、自分は疲れているんだ」と思うようになりました。
しっかり睡眠をとって、ごはんを食べて、人とのコミュニケーションをきちんととる。
僕はMPと呼んでいるのですが、それが減っている状態だ、と。
ゲームの世界でHP(体力)、MP(魔法の力)っていうのがありますよね。
クリエイティブやアート的な感性というのは体力とは別のゲージ(MP)だと思っていて。
それを回復する方法は人それぞれ違うと思います。
僕の場合、水に触れたり、火山の近くに行くとゲージが回復する印象があります。
だから温泉に行ったりしますね。
クリエーションの聖域を守る方法を自分で身につけるのが大切だと思いますし、表現者としてそれはやるべきです。
千原
確かにそれはありますね。
自分よりデザインが上手な人だったり、日々すごい才能の人と出会う訳ですから。
その中でどうやって自分の精神状態を保っていくのか、という自分なりの方法を持っておかないと潰れてしまいます。
直己
唯一自分が一番になれるのが、自分のことなんです。
つまり、自分が思ったことに素直になることができれば、それだけは確実に一番です。
70億人がいる中で1人しかできないこと。
それは自分が思ったことに素直になること。
言葉では簡単ですが、これはとても難しいことで。
だからこそ絶対に自分に嘘をつきたくない。
千原
もはや自分との闘いですよね。
講義を終えて。
これは余談ですが講義の後、僕は直己さんの元へ挨拶に行きました。
「講義のレポートを書いている嶋津です」
すると直己さんは気さくにこう言いました。
「田中杏子さんの記事(読む「れもんらいふデザイン塾」vol.4)読みましたよ。
とても素敵な文章でした」
僕は嬉しくなって「ありがとうございます。直己さんの講義、すばらしい記事になりそうです」と答えました。
すると彼は、その場にいた塾生に向かって言いました。
「みなさん、聞きましたか?僕の講義がすばらしい記事になりますよ!」
拍手が起きました。
そして僕に向かって「6回は推敲(文章を練り直すこと)してくださいね」と言って笑いました。
やるしかない。
僕は提示された3倍の量、推敲して文章に磨きをかけました。
あとは読者のみなさんの感想に委ねるしかありません。
ただ、この体験は非常にエキサイティングなもので、僕の宝物となりました。
「人の心に火をつける天才だ」
直己さんにまつわるクリエーションはこのようなコミュニケーションを仕掛けたり、仕掛けられたりすることで、より良いものを作り上げていくのだと想像しました。
気が付くと僕は直己さんのことが大好きになっていました。
ここに〝小林直己〟の魅力の本質があるのだと気付いた次第です。
すばらしい体験をありがとうございます。
《小林直己》
2007年11月、二代目J Soul Brothersに加入。2009年3月1日、EXILEにPerformerとして加入。2010年結成された三代目 J Soul BrothersのリーダーをNAOTOと共に兼任。
パフォーマー以外に役者としても活動し、舞台にも積極的に参加、劇団EXILE公演はもちろんのこと、2013年2月に行われた「熱海殺人事件40year`s NEW」(つかこうへい作・岡村俊一演出)で大山金太郎役を熱演。各方面より好評を得る。
2017年からは俳優として本格的に活動をはじめ、「たたら侍」(2017年)「HIGH&LOW」シリーズなどに出演。「THE EARTHQUAKE BIRD(原題)」(公開日未定)の公開を控える。
日本ならず、アメリカにおいても俳優としての活動の場を広げている。
《塾長:千原徹也》
デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。
最近では「勝手にサザンDAY」の発案、運営などデザイン以外のプロジェクトも手掛ける。