「言葉」という容器に
想いが宿るまで、ふさわしい言葉を探す。
その工程は、こよなくていねいで、美しい。
彼は、誰よりも言葉の持つ影響力を知っているのだろう。
だからこそ、その扱い方は慎重になる。
「言葉」という容器に
想いが宿るまで、彼の中に留まり、身体を巡り続ける。
言葉の持つ可能性と、言葉にした責任と、自分の元を離れることへの一抹の不安。
「言葉」という容器に、想いが宿った時、それは人の心を動かす。
たとえ彼に、その意図がなかったとしても。
今回のゲストは俳優であり、事業家の水嶋ヒロ氏。
彼は今、4つの軸で活動している。
1つ目は俳優やモデルなど、人前に出る仕事。
2つ目は3つの会社におけるアドバイザリー業。
3つ目が3rd i connectionsとしての自社事業。
4つ目が投資事業。
複数のことを同時に形にしていくそのスタイル。
しかし、彼の言葉に耳を傾けると、決してそれが「仕事のための仕事」でないことが分かる(もちろんその全てに対して誠実に向き合ってはいるのだが)。
彼にとって最も大切なもの───それが、彼の生き方の指針となっている。
あえて冒頭で、この講義の最後に語った彼の言葉を紹介したい。
水嶋
今日ここに来た一番の理由は、千原さんにお世話になっている部分をお返しする目的です。
実はこれまでにも何度かお誘いがあったのですが、全て断らせていただいていました。
講師という立場で僕が伝えることは何もなく───そもそも「人に何かを教える」ということを全く意図していません。
「どうしても(やってほしい)」という想いに押された部分もあります。
ですので、みなさんのスタンスとしては、「こんな考え方の人がいるんだ」と思ってくれるくらいでいいと思っています。
事前の千原さんとの打ち合わせでも、「クローズドの場なので僕も包み隠さず話すけれど、納得してもらおうとかそんなつもりはありません」ということはお伝えしています。
僕の生き方は「誰に何を言われようが関係ない」と思うところがあるんですね。
幸せの尺度によって人の捉え方はそれぞれ違う。
僕は、僕なりの幸せを求めて、この生き方を選んでいます。
人生におけるプライオリティ。
私たちが考える、もう一段高いフェーズで、全ての選択を行なっている。
それでは2時間の講義をお楽しみください。
※以下、敬称略
俳優から事業家へ
千原
そもそも、これらの多岐に渡る活動(上記の4つの軸)において、そのスタートは俳優ですよね?
その頃と今では、想いが変化してきていると思うのですが。
最初は「俳優としてがんばっていこう」という感じだったのですか?
水嶋
そこにはストーリーがあります。
実は、ロンドンにあるセントラル・セント・マーチンズ(セント・マーチンズ)というデザインの専門学校に行きたかったんです。
それまではプロを目指してサッカーに打ち込んでいました。
狙える領域にいたのですが、怪我によってその道を断念し、大学へ進みました。
目的を見失っていた頃に、自分は〝デザインが好きだった〟ということを自分の中に発見したんですね。
そこで「セント・マーチンズに行く」という目標を見つけた。
お金がなかったので、いろいろ探し回って、短期的に留学費用を稼ぐ手段を見つけた。
選択肢は2つ。
1つ目がホスト、そして2つ目がたまたまスカウトされたモデルの世界だった。
ご存知の通り、そこで後者を選びました。
千原
そこでホストを選んでいたらどうなっていたんでしょうかね?
水嶋
すでにみなさんのお察し通り、僕はあまり人と話すことが得意ではありません。
だから、うまくいかなかったのではないでしょうか?
とはいえ、それが理由でモデルができるというわけではありませんが。
千原
モデルはそれほど喋る必要はありませんもんね。
水嶋
100回オーディションを受けて、受かったのが2つ。
へこみましたね。
僕に実力が足りなかったことも大きな理由ではありますが、たとえそれが外的な要因によるものだとしても精神的に辛い。
当然、留学費用が貯まるわけもなく。
風呂なしのアパートで一人暮らし。
数少ない仕事で稼いだ給料も、次の仕事が入るまでに食いつぶしていくしかなかった。
先が見えない生活。
ただ「卒業するため」だけに大学を通う日々。
そんな中、とある事務所から声がかかり、水嶋ヒロは俳優デビューを果たす。
水嶋
何度かチャンスをいただいた中で、一番のきっかけになった作品は『仮面ライダーカブト』かもしれません。
それからフックができたのは『花ざかりの君たちへ』だと思います。
千原
その時はどういう気持ちでやっていたのですか?
俳優として「何かを成し遂げよう」という想いがあったのか、それとも疑問を抱きながらやっていたのか。
水嶋
目的はその時もセント・マーチンズにありました。
俳優として世の中で認知されはじめても、思っていたほど稼ぐことはできないんですね。
自分の生活を維持するという目の前のことに精一杯で。
僕としては「(この世界に)入ったからにはがんばるんだ」という想いがあり、「映画とドラマの主演をする」という目標を掲げていました。
それをクリアした頃にはセント・マーチンズに行くことができていて、いろんな選択肢が広がっているだろう、と。
千原
その期間は目標を立てて、がむしゃらにそこへ向かっていたと思うのですが。
そこから先の気持ちはどうだったのですか?
水嶋
『メイちゃんの執事』というドラマに出た後、『MR.BRAIN』で木村拓哉さんと共演した。
そのタイミングで結婚しました。
こうなると状況が変わってくる。
一人で生きていくわけではなくなり、責任も出てくる。
尚且つ、僕は早くして独立していたので、誰にも頼ることはできない。
千原
独立するきっかけというのはあったのですか?
水嶋
ありました。
一番は妻の病気を治すこと。
水嶋ヒロの妻、シンガーソングライターの絢香には持病があった。
世の中では〝難病〟とされているもので、その治療法は見つかっていない。
僕の中で、自分のことよりも「妻を復帰させる」ということが大きな目標になった。
復帰させるには彼女の病状を回復させないといけない。
いろんな文献を読み漁り、世界中を飛び回って様々なドクターの意見を聞いた。
結果は「まだ、治す方法が確認されていない」というところにいつも行き着く。
病気とうまく付き合いながら、危険な数値に至らないようにコントロールする。
フィジカル面、メンタル面のコントロール、ストレスを与えないスケジュール管理。
これらを全て叶えるためには自由になるお金も時間も必要です。
そのためには自分で会社をやるしかない。
妻の絢香の音楽活動をサポートするため、A stationを独立経営する。
千原
そこから奥さんを支えるということがメインになってきたと思うのですが。
仕事としてやってきた俳優に関してはできなくなる。
そこへの目標も変わっていったりしたのですか?
水嶋
僕の中では俳優を選ぶか、家族を選ぶかということは簡単で。
俳優に対する想いが軽かったというわけではなく、「何が自分の人生において大事なのか」を考えると明確だった。
自分の中で、家族が絶対だった。
思い返すと、俳優として絶頂だったのかもしれない。
目の前のことをこなすことに一生懸命で実感はなかったのですが。
仕事をたくさんいただいていたので、「それを捨てるなんて自殺行為だ」とか「お前は頭がおかしい」とか、いろんな声が届きました。
でも、僕の中ではそれよりも大事なことがある。
───自然な判断でした。
千原
そこから自分の会社をつくり、俳優にこだわらず自分のやりたいことを考えながら、家族を支えるという形にシフトしていった。
水嶋
そうですね。
自分が俳優以外の道を探すことはマストだった。
「俳優の仕事はない」という前提に考えなければ、その状況が訪れた時に身動きが取れなくなる。
尚且つ、妻が復帰できるか分からない状態でした。
「自分が働けるように」という方向にシフトしていました。
裏でいろんなところへ就職活動をしていて、当てを3つくらいつくってから、妻の治療に専念していました。
千原
諦めずに役者を続けるということではなく、現状を見据えながら大事な方法は何かを探していったということですね。
仕事と人生
千原
華やかな世界にいて、酸いも甘いも経験されたと思うのですが。
一つの地位を確立した中で───分かりやすくいえば「主演」という目的を達成した後、裏方に回るということは大きな選択だったように思います。
水嶋
未だに言われます。
「奥さんがステージで輝いている姿を見て、あなたもやりたいと思わないの?」と。
その感情は全くありません。
別物として見ています。
千原
エンターテイメントの世界への憧れというのは?
水嶋
自分は「求められてやる」というタイプだと気付いたんですね。
僕が作品に出ることで喜んでくれるファンがいると、それがモチベーションに繋がります。ですが、もともとは人前で話すことも、写真を撮られることも苦手で。
小さい頃は、今よりもずっとその傾向が強かったので、動物しか友達がいなかった。
千原
わりと珍しいタイプですね。
水嶋
そうですよねw
スイスで暮らしていた頃、家の裏手がちょうど森になっていました。
そこへ行き、虫や動物たちと遊んでいたような子どもでした。
ですから、本質的には人前に立って何かを表現する太陽みたいな存在ではなく、どちらかというとそれを照らす月でありたい、と。
千原
裏方が性に合っていたんですね。
水嶋
おそらく。
7年間、A stAtionで妻の仕事をサポートする会社をして純粋に感じたのは「もっと彼女を輝かせてあげたい」という気持ちでした。
僕にとって、それがとても楽しかった。
千原
個人的な意見として、僕は水嶋さんには「映画を撮ってほしい」という想いがあります。
絢香さんをサポートされてきたことや、小説を書いたこともあった、『黒執事』で映画のプロデュースもされた経験がある。
それらを培ってきた中で、映画の仕事をやってもらいたいと思うんです。
映画監督は興味がありませんか?
水嶋
千原さんが僕に対してそのような考えを持っていたことをはじめて知りましたw
監督という仕事に関しては、今は前向きに考えることはできません。
ただ、千原さんの考えにはきっと何らかの理由があるでしょうから、完全に「なし」とは言いづらいですがw
何よりも優先したいもの───
今の僕にとって、「子育て」はとても大事で。
千原
日々、どのようなルーティンで子育てをされているのでしょうか?
水嶋
基本的には、妻が忙しい時は全て僕がやります───もちろん逆も然りですが。
一日のスケジュールでいうと、朝4時に起きて7時までの3時間はメールを返したり、事務的な仕事を片付けます。
7時になると娘を起こして、家族みんなで朝食を摂る。
それから学校へ送り届けて、9時から仕事を再開します。
昼までに打ち合わせを3本ほど入れて、そこから15 ~16時くらいまで仕事をして娘を迎えに行く。
そこからは仕事はしないと決めています。
試行錯誤をしてきた中で、これが最も理想的なスケジュールだということに辿り着きました。
家族を大切にできて、仕事もしっかりとやる。
そう考えると、監督は難しいですね。
千原
海外だとプライベートの時間も仕事の中のシフトに組み込んでスケジュールを立てているイメージはありますよね。
水嶋
そうですよね。
海外であれば家族も連れて行くことができる。
家庭に対する理解が進んでいますよね。
千原
先日、蜷川実花さんの映画の撮影現場を見に行ったのですが、彼女「この映画が大ヒットしたら託児所を東宝スタジオに作りたい」と言っていて。
「あきらかに子どもがいる人は働けない社会だ」と。
水嶋
本当にそうですよね。
その環境が整ってくると、可能性は広がってきますよね。
千原
整える作業、一緒にやりませんか?
水嶋
やりたいですね。
大人の背中
千原
この前、朝の情報番組で「小学生がなりたい職業トップ10」というのをやっていて。
以前まで一位だった〝ユーチューバー〟はランキングの2位で。
1位が発表されて、僕は「この社会、終わっちゃうんじゃないか」と思いました。
今の小学生のなりたい職業の1位は〝働きたくない〟なんです。
水嶋
〝働きたくない〟ってすごいですね。
親のどのような姿を見て、その答えになるのでしょうか。
千原
僕は仕事現場に子どもを連れて行ったりするのですが、やっぱり「大人っておもしろな」とか「働くって楽しいな」というところをもっと見せていかないとダメだと思うんですよ。
水嶋
よほどつまらなそうに働いていたり、ストレスを抱えている姿を見せてしまうと、「私もこうなりたい」とはなりませんもんね。
ただ、ずっと笑顔でいられる仕事なんてほとんどないことも事実。
逆を言えば、「そういう人たちが社会を支えてくれている」という面もある。
千原
子どもが家族の仕事を理解できるような環境づくりは大切だと思います。
僕も子どもの頃、お父さんが働きに行って、家に帰って来るまで何をしているのか全く分からなかった。
家でダラダラしている姿を見ると、子どもの中ではそれが全てになってしまう。
水嶋
最近では『多動力』などのパラレルキャリアを謳う書籍が世の中を賑わせています。
一つだけの肩書でなくても良いという状況になってきていますよね。
ただ、僕が間違ってはいけないと思っているのは、それらの影響を受けて「自分もいろんなことをやろう」とした結果、仕事の内容が薄まってしまうこと。
それが最も怖いことだと思います。
いろいろなことに手を出した結果、全てが中途半端になり、仕事が減ってやりたくない仕事をせざるを得ない、というのが何より良くないのではないかと。
〝多動力〟のようないろいろなことができる人というのは、何かを積み上げた人なんですよね。
誰かに頼られる「何か」がしっかりと備わっている人でなければ、横に展開していかない。
つまり、一度しっかりとした土台をつくらないとダメなんです。
そのベースになる力は、〝自分が好きではないもの〟でも良いと思っています。
最初に積み上げたものは、必ず自分がやりたいことに対してもプラスに機能していく。
「他の人にはできないけれど私にはできる」というものを何か一つでも身につければ次につながると思います。
千原
やりたいことではなくても、積み上げたことが大事ということですよね。
水嶋
そう思いますね。
まず一つ極めて、次へ進めばいい。
千原さんだって、れもんらいふの仕事が積み上がって、時間をつくることが大変なほど世の中に必要とされている。
だからこそ、映画やMVという映像の世界のことができる。
千原さんって、映像を撮るための専門学校へ行ったわけではないですよね?
前提があるわけではないにも関わらず、到達してしまう。
僕も俳優だけをやっていたわけではなく、会社経営を7年間やってきたからこそ、今の会社も潰さない自信がある。
蓄積と原風景
千原
会社経営以前に、積み上げてきたものの中で「これはよかったな」と思うものってあります?
子どもの頃のこととか。
僕の場合は、ひたすら絵を描いてきたことが今に繋がっていますね。
おばあちゃんが書道の先生をしていたのですが、家に行くとA4の真っ白な半紙がたくさんあるんですよ。
それをもらって、絵を描いていました。
例えば、お父さんに映画に連れて行ってもらうと、必ずその作品をマンガにするという作業をしていた。
「どこのコマを大きくしよう」とかそういうことを考えながら映画を観ていましたね。
水嶋
僕の場合は、スイスにいた時の経験ですね。
色んな人種に混じって生活していたのはよかったのかもしれません。
リベラルな考え方───「こうしなければいけない」ということに抗うような教育法でした。
その時に育んだことが、今も何かに対して常に「疑問を抱く」という思考に繋がっているように思います。
僕の一番の夢は「あたたかい家庭を築くこと」なんですね。
そのきっかけがスイスにあります。
そこでの生活はある種、孤独なものでした。
その時に眩しく見えたのが、老夫婦の姿。
向こうでは恋人たちが人目を気にすることなく、仲良く手を繋いだり、肩を寄せ合ったりしますよね。
その光景を見て、「僕も必ず、ああいうパートナーを見つける」と決めました。
それが一番の目標としてあり、今それを叶えることができたと思っています。
その関係をより良くしていくためには、スケジュール管理や仕事のスタイルを固めていく流れになる。
そこがブレることはおそらくありません。
千原
スイスにいたのは大きいですね。
水嶋
愛情表現が日本人とは全く違います。
今でこそ、日本でも親が子どもをハグすることは自然なことかもしれませんが、当時はそのような習慣はありませんでした。
それらのこと一つをとっても、当たり前にしていることが僕にとっては眩しかった。
最終的に守るものは、家族だったり、大切な人だったり。
よくある映画のワンシーンで、悪役が最後に「娘を育てることができなかったのがオレの一生の後悔だ」ということを言いながら死んでいくというものがありますよね。
それって、本質を突いている気がしていて。
「だったら(家族を)選ぼうよ」って。
そう思いながら冷めた目で見ていましたね。
結局、「自分の名前が有名になる」とか「自分の肩書がすごいだろ」とか、そういうことには一切興味がなくて。
それよりも「これをやると家族にとってプラスだよね。だったらやろうよ」という考え方ですね。
塾生からの質疑応答の時間が印象的だった。
答える姿勢、考える〝間〟、選ぶ言葉。
その一連から醸し出される真摯さ。
誠実さは言葉の影───その息づかいに宿る。
《質問》
あたたかい家庭を築く上で心がけていることは何ですか?
水嶋
相手を尊敬していますね。
「決して自分が与えているばかりではない」ということを忘れないことでしょうか。
僕は相手からもらっているものがとても多いので、そこに対する感謝ですね。
それが一方通行だと良い関係を築くことは難しくなるかもしれません。
千原
相手に対する尊敬って、口にしないと伝わらなかったりしますよね。
水嶋
まさに仰る通りで。
スイスにいた頃、「日本人の男性はレディファースト精神が足りない」と怒られました。
小学生の時ですよw
それこそハグもそうですし、「日本人は愛情表現が苦手な人種だ」と言われ、いろいろ叩き込まれました。
ちゃんと愛情を表現すること。
自然とその時に学んでいたのかもしれません。
《質問》
奥さまのどういうところを尊敬していますか?
水嶋
妻はとにかく優しいんですよ。
ネットで検索すると彼女の悪口を書いてあるような記事が出てきたりするのですが、何一つ、全くの間違いで───
あの人ほど優しくて、きれいな心を持った人はいないと思っています。
冒頭で紹介した彼の言葉には続きがある。
最後に、その言葉でこの記事を締めたいと思う。
水嶋
水のように生きたいと思っていて。
〝水〟って本当にすごいんですよ。
環境に応じて様々に形を変えて、熱くなれば沸騰して蒸気となり、寒ければ凍って氷になる。
でも人によっては必要不可欠なもの。
そういう生き方でいいんじゃないかなって。
「絶対にやらなきゃいけないこと」などない。
やりたかったらやればいい。
それが、家族を大事にすることでもいい。
それぞれの生き方が絶対にあると思うので、〝自分らしさ〟というのを忘れずに大切にしていくと、生きることが楽しくなるのではないかと思います。
《水嶋ヒロ》
1984年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。幼少期をスイスで過ごす。高校時代はスポーツにも力を注ぎ、全国高校サッカー選手権大会で3位。2005年から俳優として数々の話題作に出演し、第33回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。俳優として広く認知されるなか、2009年に株式会社A stAtionを設立。経営の傍ら、コンテンツのプランニングやディレクション及びプロデュース業をこなす。2016年4月、自らが代表を務める株式会社3rd i connectionsを設立。株式会社じげんのCLO(Chief Lifestyle Officer)に、マゼランリゾーツ株式会社のBranding Directorに就任。俳優としては、米国海外ドラマ『Girls』(HBO制作)や、最近では9年ぶりの国内ドラマとなるAmazon Prime Videoの『東京BTH』(2018年12月7日より配信)にゲスト出演。投資家としても国内外のベンチャーに投資するなど、活躍の場を広げている。
《塾長:千原徹也》
デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。
最近では「勝手にサザンDAY」の発案、運営などデザイン以外のプロジェクトも手掛ける。