Art Of Loving~勝手にサザンDAYを綴る~
9月19日。
快晴の代々木公園。
差し込む光で瑞々しく踊る木々の葉の緑。
小さな奇跡が、あちらこちらで囁くように瞬いて。
黄昏、奏でられた音色は闇へと向かい、歓声と熱狂に絡みつきながら溶けていく。
とても不思議な時間でした。
僕は涙を流しながらカメラのシャッターを何度もきっていました。
〝夢を叶えるドキュメンタリー〟───その映画の中に僕はいる。
震える胸を押さえて、この想いを決して忘れないように。
何度も何度も反芻しながら、〝愛〟について考えた数時間。
これはサザンオールスターズへのトリビュートイベント『勝手にサザンDAY』のレポートです。
そして、その発起人であるアートディレクター千原徹也さんを描く一つの物語。
いつか、僕の妻が言いました。
「千原さんってどうしてあんなにあたたかいのだろうね?」
あの日、その答えが、少しだけ分かったような気がしました。
Art Of Loving
昔、エーリッヒ・フロムという人がそんな本を書きました。
直訳すれば、〝愛の芸術〟。
実は、Artには芸術の他に〝技術〟だとか〝技法〟という意味があって。
そうするとこう訳すことができます。
〝愛の技術〟
これは、「愛には技法がある」ということを意味していて、同時に「後天的に身につけることができる」ということを示しています。
僕たちは〝愛〟を漠然と、元からあるものだと思っている節があります。
〝この世に生を受けた〟というだけで、無条件に愛情を注がれて育ってきました。
今度はその〝愛〟を誰かに贈る側へと回っていく。
〝愛という字は真心で 恋という字にゃ下心〟
サザンの曲の中で桑田さんはそう言いました。
そう、愛っていうのは身体の真ん中あたりがぽわーっとあたたかくなるもの。
陽だまりの中にいるように、中心から末端へ向かい、じんわりと満たされていくあの感じ。
このイベントを通して、僕は〝愛の技術〟に触れました。
ものを書く人間として、〝愛〟という極めて凡庸な言葉を使うことにはためらいがあります。
抽象的であり、圧倒的な力を持つ言葉は、その強さゆえ陳腐な表現に落ち着いてしまします。
ただ、この記事を書く上で、〝愛〟から背を向けることはエンジンのない車で目的地へ向かうようなものです。
しっかりと〝愛〟と向き合い、その技術の色調だけでも伝わればと思いました。
千原
もともとは思いついたのは、今年サザンが40周年ですが夏のイベントがないということを聞いた時です。
ロックインジャパンには出演していますが、〝サザンオールスターズ〟としてのイベントはない。
ファンとしては40周年に大きなライブをやってくれるイメージでいたので「えぇっ!?」という拍子抜けの感覚がありました。
それだったら40周年は時間をかけてお祝いしていく一年にしようと思いました。
サザンってトリビュートアルバムとかそういうのってないんですよね。
若いアーティストがサザンの曲を歌ったりとか、サザンとコラボレーションして曲を発表したりとかってあんまりない。
〝絶対的な領域〟として別次元にいるところがサザンのすごさなんですけど。
だから「そういう〝場〟をつくるということができたら」って。
うちのスタッフ(れもんらいふ)と〝サザン〟の話題になった時に「?」という空気になったことがあって。
その子は20代前半なんですけど、サザンのことをよく知らなくてその場にいた皆が驚いたんですね。
ファンからすると「国民全員がファンでしょ!」とか思ったりするんですけど、意外にも10代や20代にはサザンとまだ出会っていない子がいるんだってその時知ったんです。
〝誰もが絶対知っているであろう曲〟を聴かせても、「いやぁ~ちょっと初めて聴きました」みたいな感じで。
もちろんそれはマイノリティでしょうけど、僕の中ではそれが逆に新鮮で。
良い音楽は世代に関係なく誰が聴いても心を打つと思うんです。
「サザンは誰が聴いても良い」っていう感覚が僕にはあったので、若いアーティストが歌ったりすることがきっかけとなって聴いてもらえるかな?と。
そういうアイディアを思いついて、企画書を作ってアミューズさんに「こんなのやりたいんですけど」って提出しに行ったんです。
そしたら「勝手にやる分には全然いいですよ」って。
僕が千原さんとお会いするのは、これが二回目で。
前回は京都で取材をさせて頂いた時。
それは《〝きゅーと〟と〝きょーき〟》という記事になりました。
この中で僕は千原さんのことを「千原徹也はアートディレクター、デザイナーである前に作家である」と述べました(たった30分しか喋っていないにもかかわらず!)。
でも、それは今でも本当にそうだと思っています。
卓越したその天才的な作家性が、千原さんの本質です。
全ては、彼の作家としての生き方───つまりは、〝物語を吹き込む力〟にその理由がある。
彼にとって目に映る景色、出会った人、触れたモノ、その全てが触媒であり、彼はそこに物語を吹き込む。
皆が気付かないほんの些細な出来事でも彼の感性は敏感に働き、彼は物語を与える(それは彼の意志に関係なく)。
彼の手がけた企画やデザインするプロダクトには物語が存在する(必ずと言っていい)。
《〝きゅーと〟と〝きょーき〟より》
千原さんって〝含み〟の人なんです。
それは他のインタビュー記事からも伺うことができます。
サザンの中で一番好きな曲を『吉田拓郎の唄』と話されていました。
曲の中身ももちろんそうなのでしょうが、もっと大切にしている部分はその奥にあるストーリーです。
「引退宣言」をした吉田拓郎さんに向けて桑田さんが歌ったというストーリー。
そして、拓郎さんが病で倒れた時に桑田さんが歌詞を変えて励ますようにステージで歌ったというストーリー。
色んな光景を含んでの『吉田拓郎の唄』なんです。
サザンオールスターズはそれらの光景を多くの人に与えているという意味で、千原さんにとってスーパースターなんだと思います。
サザンの曲が誰かにとっての人生の一部になっていたり、記憶を想起するきっかけになってたり、あらゆる〝含み〟を与えている。
まるで枯れ木に花を咲かせる、花咲じいさんみたいに。
その〝含み(物語)〟に対する感受性の強い千原さんのクリエイティブを引き出す存在なんだと思います。
千原さんはクラウドファンディングにあたり、ブログ(僕と、サザンと2018)をはじめました。
この文章を是非とも読んで欲しいです。
サザンと千原さんの人生が所々でリンクし、美しく発光する。
千原さんの人生における〝サザン〟という物語。
ここに書き記された想い、その言葉たちが「勝手にサザンDAY」のステージの高揚に拍車をかけます。
物語の力。
サザンの曲を通して、目に映る景色を通して、あらゆる光景が同時多発的に繋がりはじめます。
千原
(アミューズさんが)「勝手にやっていいですけど、ただ、やるならば無料イベントにして欲しい」と。
「千原さんのことだからそういうことではないというのは分かるのですが、みんながそれを分かっているわけではない。
〝サザンで商売をしている〟という見え方はファンの方々にも良くないので、お金を取らないような仕組みで───つまり、チケット無しで色んな人が遊びに来れるようなコンサートだったらいいですよ」って。
そうなると資金をなんとかしないといけない。
クラウドファンディングだったらファンの方々が「自分も手伝いたい」と思ってくれるんじゃないかって思いまして。
博報堂の米村さん(とっても偉い方!)とよく一緒に仕事をさせてもらっていまして。
その方が僕の仕事とは別で三ツ矢サイダーのCMを作っていたんですよ(三ツ矢andサザン2018)。
それで「僕、今こんな企画(勝手にサザンDAY)を思いついて」っていう話をすると「俺もサザンのファンで、HOTARU CALIFORNIAのポスターは俺が作ったから手伝わせてくれ」って言ってくれて。
博報堂が手伝うと色々とクリアしないといけない問題も出てくるので、米村さん個人として手伝ってくれるっていう話になり。
あとはタワーレコードさんとか、舞台の演出をやってくれているWATOWA,INCという会社があるのですが、その人たちや友人たちに色々と声をかけて。
話をすると皆さんとても面白がってくれたので「やりましょう」と言ってくれた。
そうやってはじまった勝手にサザンDAY、そしてクラウドファンディング。
「サザンだし、これだけのアーティストが出演するので意外とすぐに集まるのかなぁ」と思っていたのですが、蓋を開けると初日にパトロンになってくれた人が一人か二人で。
「これは、ヤバイ」
そこではじめて、全員が焦るという。
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16:00。
空からはシャンパンゴールドの光。
ステージではオープニングアクトがはじまりました。
〈いとしのエリーズ、 桑田研究会バンド 〉
〈Licaxxx〉
〈フィロソフィーのダンス〉
炭酸の泡が弾けるように、すでにあちらこちらで奇跡は起き始めていて。
ぬくもりで満ち満ちた、最上の時間へと突入したことにこの時はまだ気付いていませんでした。
千原
そこから、桑田研究会バンドの矢野さんが「千原さんはガチなんだけど、今まで別にファンと交流してきていないですよね」って。
しかも『がらくた』のジャケットを作った人だから半分内部の人だと思われている部分もある(※千原さんは桑田さんのソロアルバム『がらくた』のアートディレクションを担当)。
ファンだとか言っているけど、ちょっと営利目的感も出ちゃってる。
「僕は分かるけど、他の人は分からない。もう少しファンということを伝えていかないとみんな振り向いてくれないよ」ってアドバイスをくれたんです。
その日から、毎日自分の気持ちや現状をブログに書くようにしました。
書き始めたら、分かり易く支援してくれる人が増えてきました。
今回出演してくださるアーティストの方々って一見サザンと無関係な印象ですが、それでもやっぱりみんなサザンには思い入れの曲があって。
例えば、きのこ帝国さんのようなアンダーグラウンドで「カッコイイ」という評価を受けている人が王道のサザンを歌うということがまた面白いなぁと思ったり。
ピチカート・ファイヴの小西康陽さんって言えば、いわゆるお洒落な渋谷系ミュージシャンで。
サザンと対角にいるような存在ですよね。
でも実は青学時代に桑田さんの後輩で…という話もあるのですが。
僕は世代的にもピチカート・ファイヴが大好きなので、そんな対局にいるミュージシャンを結びつけることができればオモシロイなぁと。
今回色んな意味があって、若い人たちがサザンの良さを知る機会になればっていう想いと、サザンファンの人たちが若いアーティストを知る機会にもなればって。
そういうのがいいなぁと思って。
17:00。
ついにイベントがはじまる。
胸の高鳴り。
それは、〝みんなの熱い胸騒ぎ〟が共鳴し合っているのかもしれない。
〈総合司会:MEGUMI〉
〈総合司会:DJ TARO〉
〈佐藤千亜妃(きのこ帝国)〉
〈岩瀬賢明(とけた電球)〉
〈おとぎ話(vo.有馬和樹、gt.牛尾健太)〉
〈DJやついいちろう(エレキコミック)〉
〈ワンダフルボーイズ〉
概念としての〝サザン〟
それはそれは、本当に不思議な空間でした。
サザンがいないのに、みんなサザンを歌っていて。
サザンがいないのに、みんなサザンを聴きに来ている。
夕日が西の空に沈み、グラデーションで世界が夜に移る頃。
音を立てながら、僕の心が乱れていくのがわかりました。
何だか分からないけれど、涙が出てくる。
拭っても、拭っても。
熱い、熱い、涙。
音に共鳴し、心に共鳴し、記憶に共鳴して溢れる涙。
カメラのシャッターをきりながら、僕は気付きました。
僕たちは〝サザン〟という概念の真っただ中にいる。
クラウドみたいに遥か上空にサザンはいて、僕たち一人一人の心(デバイス)と繋がっている。
サザンへの想い、サザンとの記憶、サザンから与えられた多くの何か。
一人一人の中に流れるサザンは違うけれど、僕たちは今、〝サザン〟を通して同じ世界で呼吸している。
目の前の景色が、全部好きになっていく。
「桑田さんって素敵」
僕は妻の言葉をまた思い出しました。
「ああやっていつもおバカなことをしたり、ちょっとエッチな感じだけど、本当は一途でとてもあたたかい人なんだと思う」
「そうかな?」
「だってそうじゃなかったらサザンの曲と辻褄があわないでしょ?」
僕が押し黙っていると、彼女はこう続けました。
「そういう人じゃないと、あんなに長い歳月、たくさんの人の心をときめかせることなんてできないよ」
彼女のこの言葉が蘇り、僕はどうして千原さんがあたたかい人なのか分かりました。
それまで僕はずっと、アーティストが生み出す作品と人間性は相関関係にない───つまり、無関係だと思っていました。
音楽にしろ、文学にしろ、絵画にしろ、料理だってそう。
「人間は最低だけど、生み出すものは天才的」というカリスマは結構いて。
特定の能力が飛び抜けているからこそ、相手を思いやる想像力が欠落していたりする。
当然の話なのですが。
でも、この空間にいることで気付いたんです。
〝才能〟に惹かれて人が集まることはある。
お金や出世欲が絡んで人が集まることはある。
その集まりには、〝刺激〟や〝快楽〟はあるかもしれないけれど、この謎めいた心地良さはない。
身体の真ん中あたりがぽわーっとあたたかくなる気持ち。
これは〝愛の力〟の共鳴です。
刺激や快楽で人は集まるかもしれないけど、愛がそこになければたくさんの人の支えや協力は成立しません。
千原さんのサザンへの愛が共鳴し、一人一人の自発性に働きかけ、躍動し、そして協調する。
一人の愛が繋がり、共鳴し、現象となっている。
サザンという概念を通して愛が充満しているこの空間。
〝愛〟の持つ求心力。
単なる〝刺激〟や欲望としての〝快楽〟にはない、持続性の高さと馬力。
恋がトップギアなら、そう、愛はローギア。
人をこんな気持ちにさせるサザンは本当にすごいし、そんな空間をつくっているここに集まった全ての人が愛おしい。
ただただサザンのためだけの夜。
桑田さんへの恩返しとしてたくさんの人を優しく引っ張り込む。
こんなこと、愛が深い人にしかできない。
18:00。
涙が止まらなくなる。
〈DJダイノジ〉
〈LUCKY TAPES〉
〈小西康陽〉
〈フレンズ(おかもとえみ、ひろせひろせ)〉
〈SHE IS SUMMER〉
〈かせきさいだぁ〉
〈安藤裕子〉
〈浜田貴司(FLYING KIDS)〉
愛の波は、感動のうねりをつくり、渦になっていった。
きらきらとした飛沫を上げながら、僕たちの〝サザン〟が駆け抜けていく。
千原
桑田さんとの初対面は、『がらくた』のポスター撮影の時。
去年の5月末のことです。
なかなか時間がもらえないだろうなという空気だったんですね。
でも、僕が出した案が3時間半の撮影。
夜中に渋谷、原宿、新宿、代々木を車で移動して色んな場所で撮るという内容で。
ダメ元で提出したのですが、桑田さんが「面白い」って拾ってくれて。
「〝夜中に撮影〟っていうのはサザンではなかなかないし、渋谷の街で撮影なんてもう何十年もやってないからやりたい」って言ってくれて。
そうしたらビクターさんも、「これだけの時間桑田さんを拘束できるのなら、広告だけじゃなくてアルバムの中、ファンクラブ用、ツアーパンフレット用とか全部撮っとかないと」ってなりまして。
三時間半でしっかり夜の街を桑田さんに歩いてもらって撮りました。
それは夢が叶った瞬間で、周りにも「昔からずっとファンだ」って言っていたので、撮影に付き添ったスタッフが、桑田さんと喋っている僕の姿を遠巻きに見て泣いていました。
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二度目にお会いしたのはロックインジャパンのステージ裏。
当然のことなのですが桑田さんの周りって何十人も関係者の方がいて、喋れない環境なんです。
でも、トイレに行く時はさすがに桑田さん一人で入ることになる。
僕がトイレを出ようとしたらそこへたまたま桑田さんが入って来たんです。
桑田さんの近くでギターを弾いている木村君っていう方が「あ、千原さん」って気付いてくれて、「桑田さん、『がらくた』の時の千原さんです!」って。
そうしたら桑田さんが「あのジャケットは良かったよ、ありがとね」って肩叩いてくれて。
その時、僕の子どもが近くにいたんです。
「おー、千原君。子どもと来てんの?楽しんでいってね」ってそういう感じで。
その時もうちの奥さんが遠巻きに見ていて泣く、という。
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千原さんの話はいつだってキラキラしている。
今だって眩しいくらいに。
桑田さんの著書の中で『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』という作品があります。
これは1984年に出版された本で主にサザンの歌詞について書かれた本なのですが、この中で興味深いのが桑田さんがかなり葛藤しているんですね。
詞の世界観だけでなく、デビューしてからどのようにしてサザンを売り出していこうかというところや、桑田さん自身の歌唱力についての理想と現実のギャップに思い悩むシーンなど。
僕からすればサザンは〝King Of Pops〟というイメージ。
常に王者の道を歩いて来たという印象です。
当たり前のことかもしれませんが、桑田さんにも苦悩や不安はあったんです。
本の中で桑田さんは「ロックはサウンドだ」って言っています。
英語混じりの独特な歌詞に注目されがちですが、実はサウンドの方に重点を置いていた。
実際に「言葉の意味じゃない。サウンドですよね、響きというか…(『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』)」という言葉を残しています。
桑田さんは英語の方が母音と子音がロックのサウンドにハマりやすいっていうところと、古風な日本語の持つ響きの面白みをミックスさせて独特の世界を築きました。
サザンの初期はそういった歌詞の響きのおもしろさや、快楽としての刺激を求めた内容が多かった。
言葉って写真や音楽よりも解像度が低い。
だから、表層のおもしろさという効果しかその当時は考えていなかったんだと思います。
でも、時間の経過と、桑田さん自身の哲学が成熟していき、その角は次第に削られていきます。
※角が削れたっていうのは詞の世界のことです。常に新しいことを試みているそのスピリットは当初から変わりません。
刺激、快楽、おもしろさ。
表層での言葉の反応が、次第にまろみを帯びていき、洗練されていく。
そこに桑田佳祐という人間性が垣間見える瞬間があります。
それは普遍的な人間の心、その機微。
ぬくもり、情感、恥じらい、美しさ。
つまりは、〝愛〟。
千原さんは言いました。
「毎日が怖いんです。
怖くて怖くてたまらないです。
それが人の言葉や、行為で解放されるんです」
千原さんのアートワークって桑田さんの詞の世界に似ていると思うんです。
ビビットで、新しく、狂気的。
でも、奥底にある人間性の部分はとてもあたたかい。
サザン愛を通して千原さんを見ると、れもんらいふが、〝千原徹也〟がよく分かってくる。
千原さんの言葉が、行動が、愛が、多くの人の心を動かしました。
いつか〝物語〟として語られるであろう、小さな奇跡の集大成が、今目の前で輝きながら紡がれていく。
ひとりぼっちじゃ夢は叶わない。
結果、1000万を超える支援金が集まり、そうそうたるアーティストがステージに上がった。
そして4000人を超える観客。
夢を叶えるドキュメンタリー作品。
作家、千原徹也が紡ぐ物語。
───その物語の中に今、僕もいる。
桑田佳祐さんの「がらくた」というアルバムジャケットをデザインしました。
このとき、僕の中で「仕事」は仕事でなくなった。
『千原徹也と、れもんらいふ〝デザインの裏側がよくわかる話〟』より
夢が実現したその瞬間、作家千原徹也はどのような物語を僕たちに見せてくれるのだろう。
サザンへの愛が、現象となってその日、その時間、そこに滞留していたことを僕はこれからもずっと覚えています。
僕にとって他のどのコンサートよりもすばらしい時間でした。
〝サザン〟がいないのに、こんなにすばらしく、そしてこんなにあたたかい。
こんな不思議で、愛に溢れた音楽の時間を僕はその時、初めて体験しました。
千原徹也さんに最上の賞賛と感謝を述べて記事を締めたいと思います。
そして、最後に僕の大好きな言葉を…
「夢」なんてものはこの先わからないけど、何も起きない日でも笑顔でいられるように、何とか、そう何とか。
『千原徹也と、れもんらいふ〝デザインの裏側がよくわかる話〟』より