千原さんのおはなしvol.5(読む「れもんらいふデザイン塾」番外編)

『千原さんのおはなし』も5回目となりました。

今回は少し特別です。
今までは千原さんの〝おはなし〟(物語)からクリエイティブのヒントをすくい取ってきましたが、今回はより実践的な内容となっております。
そして、この〝おはなし〟のおかげで謎が解けました。
千原さんと出会ってからずっと気になっていた謎。

「どうして千原さんは、物語るのか?」

そこに答えなどあるとは思いませんでした。
千原さんの頭の中から世界を覗けば、燃えないゴミの山だって宝物に見えるはずです。

〝おはなし〟が語られたのは塾生たちがプレゼンを控える数日前───。
謎というのはいつだって、思いがけないタイミングで解き明かされるものです。

アイディアの発想法。

※れもんらいふデザイン塾では2週間に渡りワークショップが開催されました。
塾生たちはマグネット109のリニューアルに関する企画とビジュアルを考案し、プレゼンをすることになっています。
アイディア出しに苦戦する塾生たちへ向けて(読む「れもんらいふデザイン塾」vol.10)の続きです。

千原
一番良いのは〝自分がなぜ考えているのか〟ということを考えることです。

「自分の個性って何だろう?」

多くの人の悩みはここに集約されると思います。
自分の個性というのは〝今日まで歩んできた日々〟です。

昨日見た景色、一昨日観た映画、子どもの頃に読んだマンガ、親に連れて行ってもらった外国…

その時に印象に残っているモノ、人、感情。
まずは、そういうものをテーブルの上に並べるだけでいい。
好きなものを並べると、その人の個性が見えてきます。

嶋津
究極、「デザインにはパーソナリティが出る」ということですね。
つまり、内省───自分を見つめていくことが良いデザインに繋がっていく。

千原
正面から「このブランドはここが良い」と考えていると、新しいアイディアには辿り着くことはできない。

嶋津
定着したイメージから抜け出せない。

千原
一番危険なのはインターネットのサービスです。
大まかなイメージを検索にかけるだけで、ありとあらゆるグラフィックデザインを検出できてしまう。
でも、あれはもう人が作ったもの───既に完成されたものなんですよ。

自分が0から発想できるグラフィックデザインなんて、もはや作ることは不可能です。
色んなものを見て、組み合わせていくしかない。
その組み合わせ方が今までにないということで、新しいものになっていく。

僕は色んなネタを持っているのはいいと思うんですよ。
ただそれをネットアプリにあるものから引っ張ってくると危険です。
主にその理由は2つあります。

1つ目は、〝誰もがそのサービスを使用している〟ということ。
誰もが持っている引き出し───言ってみれば〝自分のネタを公表しているようなもの〟です。
デザイナーのネタというのは自分の中に持っていなきゃいけないものだと思います。
「見た映画」や「読んだマンガ」など、そういうものが自分の心の中の引き出しとなっていく。

2つ目は、〝発想を遠くへ飛ばす方法が分からない〟ということです。
誰がデザインして、どういう意図で作られたか分からないままだと遠くへ飛ばすことができません。
アイディアを遠くに飛ばすためにはリスペクトが必要です。

デザインしたのは誰か、そこにはどのような想いがあり、どのようなコンセプトで作られたのか。
それらが分かっていれば、作品を分解することができます。

「コンセプトを参考にしよう」「このイラストレーターに頼んでみよう」「背景のストーリーを元に考えよう」

分解できれば、多角的な視点でアプローチできるんです。
何も知らなければ、表層にあるデザインだけを盗んでしまうことになる。
それが〝パクリ〟と言われるようなデザインに陥ってしまう原因です。

嶋津
分解できれば、一部の要素だけを抽出することができる。
あらゆることに応用できる考え方ですね。

千原
そうですね。
だから僕はスタッフには「デザインを共有するタイプのネットサービスには登録しないこと」と言っています。
素人でも見ることができるものをネタ箱にするのは、自分の手の内を見せているようなものですから。
それがどれだけ恥ずかしいことなのか認識しないといけないよって。

自分の中から出す。

千原
例えば、「次の広告、イラストレーターを起用したい」という依頼が来た時に、みんなでアイディアを出し合ったりします。
すると、普通の人はイラストレーションブックを引っ張り出して、コンセプトに合いそうな人がいたら付箋を貼って「この人どうでしょう?」という提案をする。

そのような探し方では、いつまで経っても他の人と違う〝良いアイディア〟は出てこない。
本を眺めながら付箋を貼るのは誰でもできる。
本業ではない営業の人だってやっていることです。

デザイナーはアイディアを仕事にしているわけだから、そのような瞬間がいつ訪れても良いように日々ストックしていなきゃいけない。

「アイディアは自分の中から出せ」

プライドを持って、自分がおもしろいと思ったものを引き出さないといけない。
先ほどのイラストレーターの例えでいうと僕だったら、自分の好きなイラストから発想を飛ばします。
それが広告ではなくても、CDジャケットだったり、海外の美術館に飾っている絵画だったり、自分の記憶の中にある好きな絵を引き出して、そこから考える。

広告のコンセプトに沿うものを探すのではなく、「自分が良い」と思ったものに照準を合わせていく。

脱ルール。

千原
ルールがあるものでも、元々はルールなんて存在していなかったんですよ。
ルールはいつも後から追いかけてくる。
だからルールに則って仕事をすることはその地点で可能性に限界が決まっていて、結果的には間違いです。

サッカーでも最初は〝オフサイド〟はなかったはずです。
ボールを蹴っているだけではおもしろくないからラインを引いてゴールを決めた。
人数を増やしたり減らしたりしていく中で11人がベストだとどこかの地点で気付いたのでしょう。
「じゃあ、一番後ろのキーパーだけは手を使っていいことにしよう」とか。
試行錯誤の中で、バラバラだった秩序を整理していって今のルールになった。

でも、根底は〝ボールを蹴って遊ぶ〟というところがスタートのはずで。
それが「楽しかった」という気持ちが何より重要ですよね。
デザインでも、色校正、撮影方法、印刷屋さんとのやりとり…それらは全て、前にやってきた人の習慣からルールのようなものが生まれました。
でも、根底にあるのは〝良いデザインを世の中に送り出せばいい〟ということです。
その過程にはルールなんて必要ない。

間違える人や自分で考えることができない人がいるからルールができてくる。

嶋津
社会の潤滑油としての役割ですね。

千原
ルールに則って物事を進めること(ただ言われた通りにやること)は脳みそをオフにしていることになります。
まずは、そこから脱却しなければいけない。

ルール通りの工程を踏んだとしても、そこに想いや意図が明確にあれば間違いはありません。
その中で自分の方法を編み出して行き、リアレンジをしていけば、もっともっと良い方法は見つかるはずです。

クリエイティブの上では、「いかにルールを破り、最高の答えを導き出すか」ということが課題ですね。


まさにクリエイティブの神髄。

答えは外側の世界にあるキラキラしたものではなく、内側の世界に光り輝くもの。
自分というフィルターを通した宇宙。
オリジナリティは、自分が歩んできた日々の蓄積の中で生まれる。

そこで、ふと気付きました。

「千原さんの〝おはなし〟はまさにこの工程で紡がれている」

講義終わりのインタビューで、千原さんはゲスト講師の話した言葉に自身の体験や知識や感情を混ぜながらお話になります。
内側の世界と結びつき、新たな気付きをもたらします。
千原さんの〝おはなし〟が「物語」になるのは、外の世界が千原さんの内側の記憶とリンクしているからです。

千原さんの言葉。
それは〝意味〟を指し示す言葉ではなく、〝体験〟を指し示す言葉。
説明のための言葉ではなく、記憶の中で蘇った景色がそこに現れているのです。

〝天性の物語作家〟

その根源はそこにありました。

まるで『スラムドッグ・ミリオネア』という映画のように、全ての答えを、生まれてから今日までの〝積み重ねてきた毎日〟に見出すのです。
その瞬間、幸福も不幸も、喜びも悲しみも、全てが輝きはじめます。

物語は生きた分だけ増えていきます。
その時は気付かなくとも、そのうちに分かることがある。
まるで、答え合わせをするかのように───

誰かの幸せが、自分の幸せ。

千原
30歳くらいまでは感じなかったのですが、40歳になると想いが一周するんですよ。
昔出会った人ともう一回出会ったり、忘れていたことをもう一回思い起こしたり。
40歳を過ぎるとこの〝もう一回〟が訪れはじめる。
人生の巡り合わせは20年周期なのかなって感じます。

「久しぶり」とか「あの時のこと覚えています?」という会話は長く生きていないと起きないことで。
20代は、その1回目を作っている最中なので持てない感覚なんですけど、それから20年経ち、40歳を過ぎた時に突然目の前に現れる。
長く生きる意味とか、可能性ってそこにあるんじゃないかな。

嶋津
成功や失敗、あらゆる体験の伏線回収が起き始めるんですね。
その考え方だと、年を重ねることも素敵だと思えてきますね。

千原
今、5歳の子どもがいるのですが、あと5年早くにいたら「もっと同じモノを共有できていたのに」って思いますよね。

映画『バックトゥーザフューチャー』が2015年で30周年を迎えました。
あれって1985年の世界から2015年へ行く物語なのですが、それに合わせて改めて劇場公開されたんですね。
「あと5年早くこの子が生まれていたら、僕がリアルタイムで見ていたものを一緒に見ることができたのに」という想いはありますね。
「あと5年早かったらサザンの30周年ライブに行けたのに」とかね。

嶋津
千原さんが幼い頃、リアルタイムで見ていたものを今度は息子さんと共有できる。
長いスパンでしか味わうことができない体験ですね。
確かに長生きをする価値がある。

千原
だから人生80年というのは「うまくできているなぁ」と思いますね。
出会った人と人生を共有するためには良い期間で。
子どもが生まれ、成人して自分の道を選び、結婚してその子に子どもが生まれるのが見ることができるのがちょうど70~80歳くらいじゃないですか。
そして、次の世代へと渡していく。
その周期の中で自分の命が消えていくというのが。

それが別に子どもだけのことではなく、自分が残した作品や広告───それを見た若い人たちが次の世代を作っていく。
新しい未来を見届けた時くらいにちょうど死んでいく。
「人生ってよくできているなぁ」と。

子どもが生まれて、よりそういう気持ちが強くなりました。
最終的には自分が成功することよりも、誰かに自分が残したものを喜んでもらえたり、影響を受けて行動を起こす人がいることの方が嬉しいんですね。
人生というモノサシで見ると。

それこそ僕がおもしろい広告を作るより、うちのスタッフが成長していってくれる方が純粋に嬉しいし。
僕には「映画を撮る」という夢がありますが、それよりも僕の子どもがもっと大きな映画を撮ってくれた方が絶対に嬉しい。
自分が影響を与えたものに対して、次の行動が展開されていくということの方が嬉しいなって。

何のためにやりたいことをやっているのかというと、多分、それを見てくれている人が次に受け継いでくれるということのためにやっているんですね。

「今、映画の試写が見れる」という席が一つだったら、自分よりも子どもにその席を譲りたい。
昔だったら、「自分が一番に見たい」と思っていたのが、変わってきている。
そういうことなんだろうなって思います。

一つでもいいから、僕がやってきたことを見た人が「自分もこうなりたい」と思ってくれたら、それが一番幸せなんじゃないかなって。

おはなしの魔法

嶋津
千原さんはどうしてそんなに分かりやすく話すことができるのでしょう?
誰にでも理解できるように話すだけでなく、それがプロ、素人問わず、相手に何かしらの気付きを与える。
「わたしのために簡単に喋ってくれている」という気遣いをさせずに、誰が相手でも変わらないスタイルでお話になっている印象です。
それも本質的なことを言語化して。

千原
それはプレゼンテーションと同じだと思うんですよね。
日々、色んな方と話をします。
それはクライアントだけでなく、スタッフはみんな若い、奥さんや子ども、友人。
一緒にご飯を食べる2時間だったり、打ち合わせの30分だったりの中で、自分の想いを分かってもらう必要がある。
いつも心がけていることは「1つでいいから、相手の記憶に残って欲しい」と思って話しています。

逆の立場の時に、「たくさん喋っていたけど、結局何を言っているのか分からなかった」ということは結構あって。

れもんらいふデザイン塾や僕のトークショーを聴きに来た人って、ある種期待値120%で待っているんですね。
「来てよかった」「会ってよかった」「あの言葉が刺さった」と後々言える内容にしないといけない。

聞きに来ている一般の人という意識で喋るのではなく、〝お金を払ってくれたクライアント〟だと思って喋ると向き合い方が変わってきます。

スタッフが失敗しても「この人できないなぁ」と思って話すのではなく、「うちの会社が好きで、僕の下で勉強したいと思って入って来た人」という風に思わないと意味がない。

僕の根底にあるのは、「自分が体験したことをみんなに経験して欲しい」という想いです。
僕の好きな人、知り合った人、自分が関係している人みんなに僕が良いと思ったことをやって欲しい。

僕の会社に来た人には僕の見ている景色を見て欲しい。
僕はアートディレクターという立場で、良い景色を見させてもらっていて。
それこそ憧れの人と出会ったり、一緒に仕事をしたり、自分がおもしろいと思ったことを形にできたり。
その景色というのは、本当にそこの土台に立たないと感じることができない感覚や心地良さだったりするので。
辛いことだってプラスにできるし、毎日が輝いて見える。

名前が世の中に出ると、名前で仕事が来ることになる。
それは、より世の中に広まる仕事ができたり、自分が「この人と仕事をしたい」ということも叶ったりすることを意味します。

僕は、関わった人にはみんなそのステージまで行って欲しいと思っています。
「すっごい楽しいよ」「憧れの桑田さんと仕事できたよ」「グラフィックデザイナーなのに、サザンの企画をしたら4000人集まったよ」って。

それって、ただ努力やそれだけの問題ではなくて。
自分がどういうことを伝えていかなくちゃいけないのかということを常にアンテナを広げながら、自分のポリシーを持ってやっていかなくてはならない。

「みんなそこまで来て、一緒に話をしようよ」という気持ちです。


技術があれば伝わりやすく。
そこに想いが乗っかればドライブがかかる。

人生を一つの物語として見た時、どこを編集して作品を作ろうか。
千原さんのマインドは、燃えないゴミの山でも、ピカピカの宝物に換えてしまいます。

れもらんらいふデザイン塾にいることができてよかった。

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