〝驚き〟の体験というのは、そう滅多に訪れない。
知識や経験値が増えると同時、最初の感動や驚きと出会える瞬間は減っていく。
ここにはその〝驚き〟があり、そして今もずっとそれがある。
2013年7月、靭公園のすぐそばでCoffee Refillはオープンした。
1.7坪の小さな店。
焙煎による芳ばしさ、フルーティな瑞々しさ、チョコレートのような甘さ、そしてほろ苦さ…
幾層にも重なり合ったコーヒーの香り。
余韻長く、その場に立ちこめる。
注文を受けてから一杯、一杯ハンドドリップで淹れる特別なコーヒー。
おいしさの秘密。
Coffee Refillのマスター市川裕道さんへのインタビュー。
もう一杯ください。
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市川
元々コーヒーが好きで、飲み歩きをしていました。
営業で全国各地を周っていました。
その土地でおいしいと評判の店に出向いてコーヒーと共に煙草を楽しむことが趣味でした。
今は吸いませんが当時は煙草が好きで、そのシチュエーションに欠かせない存在がコーヒー。
そのような位置づけでした。
市川さんはCoffee Refillをオープンするまで、30年近く日本酒製造会社で会社員をしていた。
ある日の仕事の合間、場所は東京。
いつものように何気なく入った店で一杯のコーヒーと出会う。
その体験が市川さんの人生を大きく変えることになる。
〝煙草を楽しむための存在〟から至高の味へ。
市川
「もう一杯下さい」
そんな気持ちになりました。
そう思わせるコーヒーというのはなかなかありません。
仮に時間があったとして、カフェでゆっくりと過ごしていたならばお代わりをすることはたまにあります。
でも、すぐに飲み切って「とにかくもう一杯ください」という気分になったのはその時が初めてでした。
嶋津
今までのコーヒー体験とは明らかに違った。
市川
まさしく。
調べてみると、売り出しているのはコーヒーサイフォン株式会社という会社だった。
そこでは定期的にコーヒー塾を開催している。
市川さんは、その講座へ参加した。
市川
「なぜこの味なのか?」という点に惹かれました。
自分の頭で理解したい。
そう思い、受講しました。
嶋津
コーヒー講座はどのような内容だったのでしょうか?
市川
徹底して朝から晩まで、焙煎とドリップ。
〝コーヒー〟ためだけの純粋な学びの時間。
私も相当なコーヒー好きでしたが、その講座がはじまると夕方には「コーヒーはいらない」というくらいまで朝から晩までコーヒー三昧でした。
技を磨く。
市川
上達したければ場数を踏むのが早い。
一杯目淹れたコーヒー、二杯目のコーヒー、三杯目のコーヒー…
それぞれの味にどのようなブレがあるのか。
その僅かな要素を自分なりに追求する。
嶋津
市川さんのコーヒーを淹れる姿勢───〝一杯にかける心〟が伝わります。
僕もバーテンダーであるので、その姿勢には尊さや慈しみを感じます。
市川
良い緊張感は大切です。
淹れ方───型のようなものはイメージとして絶えず頭の中にあります。
隣で別の誰かに見られながら淹れているという意識が常に働いている。
私の中で最も気を付けている点は〝スタイルを変えない〟ということです。
味がブレないようにすることが大切で。
しかしながら日々の中で必ずブレは起きます。
それを最小限に抑えるためにはスタイルをかえないことが必要になる。
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プロには皆、それぞれのスタイルを持っています。
その日の内面と外面(温度や湿度)のコンディションも日々異なる、その中でお客様との会話やふとした出来事が連続している。
そこで唯一軸を作ることができるのは時間です。
ですので、私は時間を何よりも優先している。
絶えずタイマーで時間を追っています。
焙煎。
市川
私はそれまでアルコールの世界にずっといましたので、日本酒には仕込みという工程があります。
醸造は温度管理が非常に大事で。
香りを大切にする世界です。
温度によって仕上がりの風味は変わる。
低温でできるだけ抑えながら発酵を促す。
そうすると非常にフルーティでおもしろいものが出来上がる。
コーヒーの焙煎はそれに似ています。
余計なものを外へ排出しながら、旨みは中へ閉じ込める。
その風味をコントロールするためには徹底した温度管理が必要になります。
嶋津
かなりテクニカルな分野ですね。
市川
そうですね。
手焙煎という手法もあり、理屈としては自宅のキッチンでできないこともない。
しかし、さすがに焙煎機による繊細な熱のコントロールには勝てない。
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「あの人のコーヒーが飲みたい」
そう思わせてくれる人はなかなかいない。
僕にとって市川さんはそう思わせてくれる貴重な存在だ。
〝佇まい〟に本質が現れる。
「どうやるか」ということももちろん大事だけど、「誰がやるか」ということの方が僕には重要で。
市川さんのコーヒーを淹れる姿勢、ゴールに向かって一つずつ積み上げていく過程。
豆の質やスタイルがベースにある。
ただ、それ以上の世界はその佇まいが風味に付加される。
理想の味。
市川さんのコーヒーの淹れ方はエスプレッソのような旨味が凝縮されたものを抽出して、お湯で薄めるというシンプルな手法だ。
嶋津
コーヒーサイフォン社の様式で淹れている方は他にもいらっしゃると思います。
僕は料理でも飲み物でも、あるいはデザインでも、ある一線を超えるとあとは好みの問題になってくると思っていて。
あるラインを越えた瞬間から、それぞれの作り手が自分の追求する道を「どれだけ深く掘り下げていくことができるか」ということが重要になってくる。
基本となる作業工程は同じだと思うのですが、その中でも理想とする味がそれぞれにある。
その違いによって風味に個性が出る。
市川さんの理想の味を言語化するならばどのように表現されるのでしょうか?
市川
やはり〝おかわりしたくなるコーヒー〟ですね。
深みがあるのですがクリアな味わい。
何杯でも飲みたくなる気持ちを作るためには、ライトな要素をこちらでデザインする必要があります。
サイフォン社でコーヒー講座を受けた時、色んな講師の方が教えてくださいました。
現場の専門家として、実際に店舗経営もされているプロ中のプロばかりです。
その中で金沢さんという仙人のような方がいらっしゃって。
あのお方との出会いが、今の私に繋がっています。
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その頃、夏でしたので講習の前にアイスコーヒーを淹れてくださる。
それを皆でテイスティングするのですが、金沢さんのアイスコーヒーがとてつもなく美味しかった。
「何だ、これは?」と。
その驚きと喜びは、私がこの豆の世界と出会った時よりも強い衝撃でした。
金沢さんのアイスコーヒーを少しアレンジして、ホットコーヒーを作っています。
具体的には濃厚なコーヒーの抽出液に、お湯を差して味を調整する方法なのですが。
この手法のメリットはホットにもアイスにも、さらに言えばカフェオレにも対応できます。
非常にフレキシブルな応用が利く。
どのようにすれば、よりホットコーヒーに相応しくなるかを研究しました。
金沢さんのアイスコーヒーは、世間でいうダッチコーヒー(点滴による水出し)の世界観を瞬時に作るイメージに近い。
さらに付け加えるならば、点滴で淹れるよりも美味しいものになる。
〝淹れたて〟というのは何にも増してすばらしい風味が出ます。
嶋津
同じレシピ、同じ手法、淹れたとしても人によって全然味が違う。
たとえシンプルな手法だとしても。
あれは何でしょう?
市川
イメージの結果だと思います。
完成されたコーヒーを緻密にイメージしている。
豆を挽く段階から出来上がる工程がイメージし尽くされている。
それは単純にスタイルだけの話ではなく、自分の心の中でやり取りが行われている。
「ここはこうして、ああして」と自分自身と対話しながら、綿密なイメージと共に淹れている。
嶋津
明確なゴールがあって、実直にそこへ向かっている。
市川
人間ですので揺らぎはあります。
日によって感情も変われば、多少動きにも変化は起きる。
ゴールまでの道が直線なのか曲線なのかという揺れはあるかもしれませんが、結局同じ目的地に辿り着く。
それを崩さない。
その想いが人より遥かに強いのではないでしょうか。
嶋津
とても難しいことですね。
その部分というのは教えることはできるのでしょうか?
市川
できないでしょうね。
反対に言えば、伝えにくい部分であるので、そこが人それぞれの個性となり、スタイルに昇華していけば良いのではないかと思っています。
それが美味しいものであるのならば、それがその人の味です。
しかしながら〝美味しい〟というのは非常に難しい感覚で。
人それぞれ趣向が異なります。
好みの世界ですから。
嶋津
〝風味〟というものは後からついてくるものなのかもしれません。
市川
当店は今年で六年目を迎え、日々それなりの量のコーヒーを淹れています。
しかし、未だに「進化させたい」という想いはあります。
嶋津
一杯のコーヒーに対する明確なゴールはあると同時に、「これが一生涯のゴールではない」と。
市川
まさしく。
これは、あらゆる職業に言えることだと思います。
絶えず進化する───つまり、時代と共に変化し続けること。
料理一つにしても、コーヒー一つにしても進化しなければ凡庸になる。
変化にこそおもしろみは現れる。
サラリーマンをしていただけでは、なかなか実験できないところでもあります。
そこはこの仕事の醍醐味かもしれません。
ドリップの間の決して長くはない時間。
カウンターの越しでの市川さんと会話。
その何気ないやりとりは僕にとって尊い体験で。
ある日の市川さんの言葉が僕の心に刺さった。
「どこのメーカーの豆であろうとそれなりの味は出ます。
しかし……僕たちが求めているのはそういうことではないですから」
それは、「目指す世界が全く違う」ということを意味していた。
一般的に「おいしい」と言われるものは、技術があればそれなりの味は出せる。
そこから異次元へ飛躍させること。
考えてみれば、とてもリスキーな言葉で。
それはコーヒーだけでなく、生き方としても。
だからこそ僕は市川さんのことを〝街のコーヒー屋さん〟ではなく、〝アーティスト〟と見ている。
もちろん商売なので市場とのコミュニケーションの上で成立しているのであるが。
ただ、僕は異次元に飛躍させてくれる人にどうしても惹かれる。
コーヒーで世界をアートする。
嶋津
市川さんのライフスタイルの中にはコーヒーという基盤があるとは思うのですが、そこをブラッシュアップしていくために心がけている習慣はありますか?
市川
実は、店をはじめてからはコーヒー専門店には行かなくなりました。
よほど気になったところを除けば、という話ですが。
それよりもコーヒーではない世界の方に新しい発見があるので、それをコーヒーに転用するとどうなるのだろう?という思考に変わりましたね。
そのような発想で物事を観察しています。
嶋津
具体的にはどのような感動がありましたか?
市川
最近でいうと妻とNYに行った体験ですね。
向こうでは日常的にカフェやレストランで生の音楽演奏が行われていて。
音楽の文化というのは、その土地に根付いたもの───長い歴史の上にある。
その辺を歩いている普通のおじさんが、楽器を持って演奏をはじめるのですがそれが実に格好良い。
あのような光景はなかなか日本では見られません。
それは音楽を演奏している方だけでなく、レストランで働いている方々にも言える。
多くの人はすごく楽しそうに仕事をしている。
決して上から目線だというわけではない。
横の繋がりとして接しているんですね。
そのコミュニケーションが楽しみでお客さんが来ているという要素もある。
嶋津
良い土壌ですね。
接客を受ける側も気持ちを引き上げてもらえるような。
市川
どの店の人もそうだと思うのですが、彼らは自分の仕事に誇りを持っている。
つまり、強い何かを持っている。
決して「お客様は神様です」という姿勢ではなく、人間と人間のコミュニケーション───対等の立場で接している。
ある意味カルチャーショックでした。
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先ほども言いましたが、私には組織に属している時代が決して短くない期間ありました。
しかし、その当時から協調性はそれほどなかったと思います。
実際に抜けてみて、改めてそう感じました。
会社員というのは一応組織ですから、会社の示す方向に進むということは当然です。
ベースには「利益を上げる」という方向性の上にいるのですが、私は小さい頃から「人と同じということをする」ということがあまり好きではありませんでした。
絶えず〝自分の世界を築きたい〟という願望はあったように思います。
その延長線上で、自分のコーヒーの世界が広がった時におもしろさを感じることができたのだと思います。
フレンチが作れるわけではない、懐石料理が作れるわけでもない───だけど豆の世界ならば。
たかがコーヒー、されどコーヒー。
嶋津
市川さんのコーヒー論は様々なことに応用できると思います。
あらゆるヒントが詰まっている。
この味に辿り着くまでの様々な発見や経験は財産ですよね。
会社員の方にも応用できる部分は絶対にある。
僕自身、全く違ったところで哲学に触れ、その積み重ねで良いものができるのではないかと思って文章を書いています。
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〈カフェオレ〉
嶋津
この豆さえあれば、場所に関係なくどこでも勝負できますよね。
市川
そうですね。
東南アジアでもアメリカでも何処にでも行って「なぜ、もっと美味しい珈琲を作らないんだ」と言いたいくらいですねww
嶋津
いずれそういうことも?
市川
治安の悪い国でなければ。
それこそレンタカーを借りて。
ドリップするためは特別なマシンは必要がない。
ドリッパーがあってペーパーがあればどうにでもなる。
定期的に国際便で豆を送ってもらえば可能です。
車で移動しながら、例えばロシア大陸を移動しながらコーヒーを淹れて旅行をできたら素敵ですね。
嶋津
ニューヨークで外国人が演奏をはじめる。
その隣で急に市川さんがコーヒーを淹れはじめる。
拍手喝采ですよね。
市川
あの世界では喜ぶ人が多いと思います。
人と違うことをやっているスタイルにリスペクトがある。
「僕のコーヒーが飲みたいかい?」というノリでww
嶋津
世界中、言葉は使えなくとも、珈琲がコミュニケーションツールになり得る。
市川
仰る通りです。
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〈Coffee Refill イメージキャラクターのキリン〉
「おかわり(=Refill )」には夢がある。
感動と期待、そして隠れていた欲求を引き出す余白。
「おかわり」という時はいつだって、人は瞳を輝かせる。
希望に満ちた素敵な言葉。
「おかわり」をクリエイトする芸術家。
市川さんのコーヒーが飲みたい。
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Coffee Refill
〒550-0004
大阪府大阪市西区靭本町1-14-8 鈴木ビル 1F