〝きゅーと〟と〝きょーき〟
ほどよく〝ゆるい〟空気感。
それはルーズなわけでなく、かと言って余裕綽綽なわけでもなく、緊張感がないわけでもない。
例えるなら、美酒が喉元を過ぎた5分後の世界。
『れもんらいふデザイン塾』はそんな場所。
〝心地良い自由〟がそこにある。
千原徹也。
そんな空気感までもデザインしてしまう人。
「〇〇ちゃん、おっはいんっなさいっ」
縄跳びをして声をかけられた遠い記憶───あの感じ。
ちょっと嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、ちょっとわくわくする。
あの気持ちを〝言葉〟無しに醸す人。
今回、れもんらいふ代表の千原徹也氏にインタビューをした。
≪千原徹也≫
デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。
取材前、私には〝千原徹也〟というクリエイターの実態が正直分からなかった。
もちろんアートワークは知っているし(彼の名前よりも先に日常の中で自然と目にしていて)、そのビビットな色彩と独創的なフォルムに惹かれた人間の一人だ。
ただ、彼という〝人〟が見えない。
数々のネット記事に目を通し、ラジオ音源に耳を傾けてもも千原氏は〝つかみどころがない〟のである。
一般的なクリエイターの言葉には、必ずと言っていいほどどこかに〝パンチライン〟がある。
技術に関すること、心の在り方について、アートへの想い…
いわゆるクリエイターとしての〝本質〟のようなものが垣間見える瞬間である。
それが千原氏からは読み取ることができない。
誰かとの出会いの話やプロダクトを手に入れたきっかけのような〝クリエイティブ〟とは離れた話が多い。
これはインタビュアーの腕が無いか、千原氏が意図的にそのように演じているのかのどちらかだ(当然、後者だろう)。
インタビューをしてもそれは分からなかった。
〝謎〟は〝謎〟のまま。
しかし、彼の纏う独特の雰囲気や、デザイン的思考や、こぼれ落ちた言葉を何度も何度も反芻しているうちに、ヒントのようなものが見えた。
それは細い細い糸で、注意深く(そして我慢強く)手元へ手繰り寄せていく中で見えてきたものがあった。
そして、それはようやく輪郭が見えたところで文章を書き始めた。
───そして今、ようやく私なりの答えが出た。
彼は他の数多くのクリエイターとは違い、より複雑で、より難解な方法で、そしてより高度な技術で人へ〝何か〟を伝えている。
その〝謎〟についても、書き進めながら紐解いていきたい。
2016年4月にスタートし、今年で3期を迎える『れもんらいふデザイン塾』。
クリエイターたちの躍動する言葉と向き合う高濃度の時間。
≪読む〝れもんらいふデザイン塾〟≫←詳しくはこちら
まずは、その成り立ちについて───。
嶋津
どのようなお考えで『れもんらいふデザイン塾』を開講されたのでしょうか?
千原
そもそもLoftwork Inc.という会社が京都で事務所をつくり、その一階がワーキングスペースになったんですね。
社長の林さんが「千原くん京都出身だから何かやって」と。
そこからですね。
ただ、〝一回きり〟の単発のイベントをやってもおもしろくない。
継続的にできることってないかなぁと思って今の形にしたのですが。
〝自分がデザインをする〟となると、仕事として負担は大きくなります。
でも、毎回ゲストを呼んで話を聴きながら喋るくらいだったら続けることができるかなぁ、と。
<ゲスト講師による講義前のHRの時間>
昔、京都の五条に『広告塾』というのがあったんです。
毎週色んなクリエイターが東京から来て授業をするという。
僕も時々行っていたんですね。
その後、広告塾はなくなってしまったのですが〝あんな感じのことをやりたい〟っていうのがぼんやりとあった。
嶋津
東京ならそういったイベントはたくさんありそうですが、関西では珍しいですよね。
千原
そうなんですよ。
あと、話を聴くだけだと距離って縮まらないんですね。
だから交流会(懇親会)もその枠組みの中に作ったんです。
お酒を飲みながら直に先生に質問をしたり、〝話ができる場〟を作った。
東京だと、例えば「千原君、〇〇さんとごはん行くんだけど一緒に行かない?」と急にクリエイターの人に会えるお誘いがあるんですね。
でもこちら(関西)では全く接点がない。
そういった接点をつくる場所にしたいなぁと思いました。
だから、必ず〝お酒を飲んで交流会をやる〟というのを決めた。
嶋津
学ぶための〝塾〟という機能の他に、そういった〝場づくり〟というのが一つの目的であったのですね。
千原
それを続けていくことで、何か「京都でクリエイターが集まる場所と言えば〝れもんらいふデザイン塾〟」みたいな。
そのように言われるようになるといいなぁと思って。
「あそこ(れもんらいふデザイン塾)出身なんです」ってなっていくのがいいですよね。
嶋津
ゲスト講師の面々はどのような人選なのでしょうか?
千原
基本的には僕が一緒に仕事にした人ですね。
運営資金が潤沢なわけではないので知らない人にオファーすると難しいけれど、一緒に仕事をしたことがある人だったら僕のことも分かってくれていて単に〝お金〟ではない部分で繋がってくれていて。
嶋津
「この人だったら面白そうだなぁ」という。
千原
そうですね。
先ほどの話にも出た広告塾は〝広告塾〟という名前くらいですから、講師の方々がCMプランナーやコピーライター、映像ディレクター、アートディレクターというそういう〝広告をつくっている人〟たちでした。
『れもんらいふデザイン塾『』はそこを崩したくて、ゲスト講師を毎週バラバラにしようと。
先週はファッションの人、今週はミュージシャン、来週は広告会社の人みたいな感じで。
15回のラインナップの中でとにかくジャンルの違う人が来るようになるべく意識しました。
自発性を押すスイッチ。
嶋津
塾ですので〝教育〟という要素も多分にあると思うのですが、〝アート〟というのは方程式がないだけにマニュアルとして教えることが難しいと思うんですね。
その辺りはどのようにお考えですか?
千原
グラフィックデザインを中心に考えると、れもんらいふの社員になる子でいうと〝技術〟という面の話であればMacを操作して、データ入稿したり、文字詰めしたり、そういった〝デザインする技術〟というのは基本的に社員になってくれれば一年二年で教えることができるんですね。
毎日やっていれば皆同じくらいのペースで身についていくものなの。
でも、その人の感性や人と出会ったり、その場所に出かけていく力、おもしろいものに興味を持つことだとかっていうのは会社では教えることができないじゃないですか。
僕が「あの人に会った方がいいよ」とか「こういう本がいいよ」とか言うと、絶対それがしんどくなるんですよ。
自分で発見して、自分で見つけて、自分で吸収しないと、自分のものにはならない。
嶋津
能動的に動かないと身に付かない。
千原
そうです。
「この映画見た方がいいよ」とかスタッフに言っても「見たいです~」とかいいながらも絶対に見ないですからねwww
嶋津
逆に変なバイアス、というかフィルターがかかってしまうこともありますね。
千原
そうそう。
それが友達同士とかだと「これ見たらおもしろいよ」「見る見る」ってなるけども、僕という立場の人間が言うとある種〝命令〟になってしまう。
嶋津
確かに〝社長〟と〝従業員〟という縦の関係性があると。
千原
そういった意味でもやっぱり、自分で得ていかないと。
映画だって自分で発見してはじめて「この映画がいい」とみんなに言える。
人から勧められたものだと難しかったりする。
だから僕はこの『れもんらいふデザイン塾』では一生懸命技術のことをメモるのも自由だし、メモしなくてもここで友達をつくるというのでも自由だし、ここで講師の人に話しかけて目当ての人に「私をアシスタントにしてください」というのも自由、その提案を蹴られるのも自由だと思っているので。
だから〝場〟を提供するだけ。
その方が〝やらされている感がない〟というか。
結果、『れもんらいふデザイン塾』の一期生二期生の子で、「友達できた」とか「生涯の親友ができた」とか「知り合って仕事が生まれた」とか「実際ここで刺激を受けて今東京で働いています」とか。
色んなパターンの人がたくさんいるんです。
みんなそれは〝千原に与えられた〟というよりは〝ここに来て自分で開拓した〟という想いの方が強い。
そこは「いいな」って思うし、そうなってくれた方がいい。
嶋津
『れもんらいふデザイン塾』は役割として自発性を促すところがポイントとなっている。
そういった意味で〝場づくり〟なんですね。
千原
それが広告の人ばかりだと、ずっと教育みたいになってしまう。
デザイン塾とついていますけどある種、「人生のデザイン」というか。
今日は〇〇さんの話を聴く。
そのことで自分の将来に対してのデザイン、設計が変わってくる。
そういう風なことを学んでいける場であったらいいな、と。
嶋津
何かを生み出す時に千原さんの中で4つ気をつけている点がある、とお伺いしました。
「本格的・しずる感・抜け感・かわいい」
この抜け感、かわいいっていうところって、非常に難しいように思います。
すごく感覚的な部分だと思うのですが、そこの意識はどのようにされているのでしょうか?
千原
デザイン業界にいると、偉い先生方がいらっしゃるじゃないですか。
デザインの団体もある。
芸大や美術の専門学校を出ている子たちはみんな「美しいものを作れ」と教わっていると思うんですよ。
「洗練されていて、抜けのいい、そんな美しいモノをつくりましょう」というのが全てだと思うんですよ。
でも結局、広告やデザインをやっていて分かるのが、一般の人と距離が遠いんですよね。
洗練されたものって距離が遠くなるんですよ。
それがすごく分かり易く出たのが東京オリンピックのロゴだったと思うんですね。
あのロゴってグラフィックデザイナーは全員「いい」と言ったんですよ。
「あのロゴめちゃくちゃいい」と。
でも一般の人は全員「???」だった。
その現象こそがグラフィックデザイン業界を端的に現わしていると思うんですよ。
嶋津
専門家と一般人の感覚に明らかに隔たりがあるという。
千原
もともとデザインをやっている人というのはひねくれた人ばかりだし、「分かる人だけ分かればいい」という考えばかりだと思うんです。
それ(一般の人との感覚の差)を繋ぐのが〝かわいい〟だと思っています。
嶋津
なるほど。
千原
結局その「本格的」とか「抜けがいい」っていうのは広告の中で教わるのですが、〝+かわいい〟が入っていないと一般の人との距離が縮まらないんだと思うんです。
〝かわいい〟。
千原氏のアートワークに共通するものは、この〝かわいい〟という感覚だ。
色彩豊かで、どこかあどけなく、フラジャイルでいて、親しみやすい。
未熟性を宿したデザインが人の心を掴む。
私は千原氏のアートワークから───さらには実際にお会いした時に感じたものから、彼の中に茶人の〝古田織部〟を見た。
プロダクトの親しみやすさ、そして心くすぐられるキュートな愛らしさ。
洗練された千利休のデザインではなく、〝ひょうげもの〟としての織部らしさのようなもの。
≪千原手徹也=織部論≫←詳しくはこちら
『千原徹也=織部論』の中で私は千原氏のアートワークについてこう述べている。
〝かわいい〟だけではない。
千原氏の作品を見ていると〝かわいさ〟の中にジャリっとした質感を感じる。
最初、私にはそれが何なのか分からなかった。
〝かわいさ〟の中に宿る〝何か〟に違和感を覚えたが、その一瞬の質感は何事もなかったように通り過ぎていく。
文章を整理しているうちに、自分が意識の外側でその〝何か〟に未だに惹き付けられていたことに気付いた。
樽の中でウィスキーが熟成するように、あるまとまった期間を通して、私はその〝何か〟の正体が分かった。
それは〝狂気〟だ。
千原氏の本質はここにある。
それがこの記事の題名でもある〝きゅーと(cute)〟と〝きょーき(狂気)〟。
───それだけの話ならば、シンプルかもしれない。
しかし、千原氏が纏う〝謎〟めいた雰囲気。
表層への本質の〝現れ方〟。
そこに複雑性が多分に含まれている。
千原氏の〝言葉〟を通して、彼のクリエイターとしてのその〝作家性〟の奥へと迫る。
千原徹也の進化論。
千原
僕はそもそも「そこまで洗練されたデザインができないなぁ」と思ったんです。
すごく技術も必要なことだし、「削ぎ落として」っていうところじゃないですか。
性格的にできないんですよね。
でも、デザイン業界にいると、それができないと「ダメ」なんですよ。
僕はだから、「デザイン業界にいる」というのを捨てたんですよ。
デザイン業界にいたらキレイなものを作らないといけない。
でも僕はその技術がないなぁと思ったんです。
それは技術の要素もあるし、自分の好きなものが「洗練されただけのもの」ではないというのがあったりした。
それでもデザイン業界で認めてもらおうと思ったら、そちらの方向へ進まなければいけないじゃないですか。
賞とかもありますし、色んなものを獲得していこうと思ったり、先生方に認めてもらおうと思えば、苦手なものであろうとそこにいかなければならない。
僕はもう、ある地点から「先生から認めてもらわなくてもいい」と。
「別に賞も獲らなくてもいい」と。
自分らしくやれば、そうじゃないデザインができて、多分今までにない人から依頼が来るようになるんじゃないかって。
だから、「自分らしくやろう」と。
そう思ってやりはじめたら色んな仕事がくるようになったんですよ。
嶋津
そのような形(今までの評価軸とは別の形)で脚光を浴びたわけですが、何か心の変化のようなものはありましたか?
千原
感覚的には何も変わっていません。
自分自身の普段も、仕事が全くない時と何も変わっていない。
すごく注目を浴びたという感覚はそんなにないのですが。
ただ、注目を浴びることで「もっともっとデザインの幅を知ってもらう人になりたい」と思うようになりました。
例えば先生方の中で「千原のデザインはこういうところがダメ」って思っている人がいるかもしれないですけど、でも別にそれが全てではない。
デザイン業界だけでなく、こっちの音楽業界などで認められればそれはそれでいいことだと思います。
だから、もっともっと幅広くて、「おもしろい」って思ってもらえる立場になっていかなきゃいけないのかなぁって。
人生は〝人〟。
千原
以前、死にかけた体験をしたんですね
「あ、死ぬかも」って。
その時に走馬灯のように、バーッと人生を振り返るのかと思ったらそうじゃなかった。
僕が見たのは〝出会った人が全員出てきた〟んですよ。
今までの人生で出会った人たち。
その時〝誰と出会ったかが人生なのかも〟と思ったんです。
嶋津
〝出会った人〟が人生。
千原
その体験を通して「フレキシブルに生きないといけないなぁ」と思ったんですよ。
自分の中の〝こだわり〟だけじゃなくてね。
「〝この人〟と出会えることがあるとすれば、自分のやりたいことだけではなくて、他にもっと別のこともしておかないといけない」ということもあったりするんです。
「〝この人〟が嫌って言っているならやめようかなぁ」とか。
なんか〝人〟ベースで自分がやりたいことも変わってくるのかなぁって。
嶋津
〝この人〟といずれ会うためにやるべきことは、〝自分がやりたいこと〟だけじゃない。
千原
『れもんらいふデザイン塾』をやっていて毎回45人の生徒が入ってくるんです。
3期目ですから、単純計算するともう150人近くと出会っているわけですよね。
おもしろいなぁと思いますよね。
嶋津
貴重なお話、ありがとうございました。
このようにしてインタビューは終わった。
ごくごく一般的な質問内容に、千原氏は一つ一つ丁寧に対応してくれた。
彼の答えは〝的確〟で、彼自身の哲学が明確にある。
しかし、やはり腑に落ちない。
〝きゅーと〟と〝きょーき〟の鮮烈さに惑わされて、見失ってしまったような感覚だ。
ただ、彼は手がかりを残して行ってくれた。
それは「人生は〝人〟」という言葉。
走馬灯の中で連続的に登場した「今まで出会った全ての人たち」。
そこで一つの仮定が浮かび上がった。
彼にとって大切なのは〝クリエイティブ〟よりも〝人〟にあるのではないか…?
そう考えるとしっくりときた。
彼の醸す雰囲気も、他のインタビューでの〝クリエイティブ〟についてではなく〝出会い〟の話に集約されていることも全て説明がつく。
『千原徹也=織部論』の中で私はこう記述した。
千原徹也氏によるアートワーク。
目に飛び込んでくるビビットな色彩や独創的なフォルム。
それらは刺激的であるにも関わらず、千原氏の構築する空間には穏やかな安心感───〝私の話を聴いてくれる〟という安堵感がある…
…〝優しい言葉〟よりも、〝自分の話を聴いてくれる〟ことの方が相手を穏やかな気分にさせるのかもしれない…
…千原氏の凄さはあらゆるもの(人・モノ・体験)を物語化させる力にある。
鮮やかで躍動感のあるアートワークに注目されがちではあるが(アートディレクターという職業上、当然の話ではあるが)、物語を吹き込む〝作家性〟は群を抜いている。
それは自身の人生だけでなく、千原氏の周囲の人たち(関りのある人やモノ)まで───大げさに表現すれば、千原氏の視界に映るモノ全てから着想を得ているといった貪欲さが伺える。
目の前の相手からエッセンスを引き出す天才なのかもしれない。
相手は引き出されたことに気付いていない。
というのも、それがその人にとっては〝価値のあるもの〟だとは気付いていないからだ。
この文章の中で千原氏が〝大衆性(共感性)〟を抜き取る天才だと論を展開させていく。
彼が〝人〟の話に耳を傾けるのも、〝人〟ベースで思考と行動が働くからなのではないだろうか。
そして彼は比類なき作家性でそれらを〝物語化〟させるのだ。
作家、千原徹也。
腑に落ちない感覚も。
数々のインタビューの中で〝出会い〟または〝別れ〟の話にこだわるのも。
そして、『れもんらいふデザイン塾』のHRで自身の人生を振り返ることも。
全ては、彼の作家としての生き方───つまりは、〝物語を吹き込む力〟にその理由がある。
彼にとって目に映る景色、出会った人、触れたモノ、その全てが触媒であり、彼はそこに物語を吹き込む。
皆が気付かないほんの些細な出来事でも彼の感性は敏感に働き、彼は物語を与える(それは彼の意志に関係なく)。
彼の手がけた企画やデザインするプロダクトには物語が存在する(必ずと言っていい)。
表現方法が〝きゅーと(cute)〟や〝きょーき(狂気)〟といった鮮烈なインパクトのためにそちらに気を取られて見落としてしまいがちであるが、彼は天性の作家なのだ。
そして〝千原徹也〟の本当の凄さはここにあるのだ。
「表層への本質の〝現れ方〟が難解である」と言ったのはそこにある。
〝物語〟は決して一文では語れない。
小説とコピーライターの書いた文言の違いである。
そこには〝目的の差〟がある。
小説は一文で説明できないから〝小説〟という物語の形をとっている。
コピーは短い文章で端的かつ効果的に印象を与えるという役割がある。
他の多くのクリエイターが語る〝クリエイティブ〟に対するパンチラインはコピーライターのつくる〝コピー〟のようなもの。
千原氏の語る〝物語〟は多様性を含んだ情報量の大きい〝現象〟としての形態なのだ。
コピーを取得するように〝分かろう〟としても分かるはずがない。
千原氏の物語は、複雑性に富んだ現象を体感する中で、感じ取るものだからだ。
だからこそ、こちら側の姿勢を変えればより多くの発見や感動がある。
〝小説〟には小説にしか表現できない〝物語〟がある。
短い言葉で表現できるならば、〝小説〟という形態をとる必要はない。
あらゆる葛藤や、あらゆる感情や、あらゆる矛盾や、あらゆる無駄を含めて〝物語(小説)〟なのだ。
そして彼は、アートディレクターである前に〝物語作家〟なのである。
「おっはいんっなさいっ」
縄跳びをして声をかけられた遠い記憶───あの感じ。
ちょっと嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、ちょっとわくわくする。
〝言葉〟無しにあの気持ちを私たちに与えてくれる人。
千原氏の醸す空気に一度入れば、連帯感が生まれる。
それは縄跳びの縄の中に入った時のように。
その心地良い連帯感の理由は、彼が〝吹き込んでくれる物語〟にあるのかもしれない。